自由の重み
鉄の扉が開く音が響いた。10年ぶりの自由。
この「自由」という言葉が、こんなにも重く感じるとは思わなかった。
10年前、内田誠“容疑者”となった私は、酒に酔った状態で運転し、小学生の少女の尊い命を奪った。
なぜそんなことをしてしまったのか、何度も自問自答したが、言い訳になるような理由は何もなかった。
自分なら大丈夫。そう思ったことに、何の根拠もなかった。
刑務所の外に出て、まぶしい陽光を浴びながら、自分に言い聞かせる。
(罪を償う。ただそれだけだ)
贖罪
アパートを借り、日雇いの仕事を始めた。
10年ぶりの仕事で体はクタクタだったが、やはりぐっすり眠ることはできない。
少女の笑顔を毎日夢で見る。
彼女の未来を奪ってしまったという事実に、精神が押しつぶされる。
何度もこの命をもって償うことにしようと思った。
それでもそうしなかったのは、命を絶つことではなく、自分の行いが何か償いになるのではないかと、思考を巡らせ続けてきたからだ。
人の命を奪った人間に対して、10年という年月はあまりに短い。
どうやって生きることが、彼女への、そして家族への償いになるのか。
結局答えにたどり着くことはできなかった。
服役中、毎日のように被害者家族からの手紙を待っていた。
怒りの言葉でも、呪いの言葉でも良い。
せめて謝罪の言葉を伝えたいという望みは、10年間、1度も叶うことはなかった。
謝罪
ある日、駅前で飲酒運転に対して呼びかけをする団体を見かけた。
「飲酒運転は犯罪です!」大きな声で呼びかけるその姿に、私の足は無意識に歩みを進めていた。
「…この活動は、誰でも参加できますか?」
「ええ!もちろん大歓迎ですよ!」
宮浦と名乗るその人に、あっという間に手続きをしてもらい、私は飲酒運転をなくすための活動に必死で取り組んだ。
(これしかない。これが、私にできる唯一の償いだ)
給料のほとんどを飲酒運転防止の活動に充て、休日には駅前に立ち、黙々とチラシを配る。
(1人でも多くの人に、思いとどまってほしい。私のような過ちを繰り返してほしくない)
そう思いながら、活動を続けた。活動の中で、色々な人との出会いがあった。
純粋に飲酒運転をなくそうと活動している人、元々警察官だった人、そして、飲酒運転で大切な人を失った人。
そんな人たちに、まさか自分が、飲酒運転の加害者だと伝えることはできなかった。
自分にどんな目が向けられるのか、それは容易に想像できることだった。
自分の経歴を明かさないまま、私はただ黙々と、活動を続けた。
歩むべき道
ある日、いつもの集合場所にいくと、宮浦さんが近づいてきた。
宮浦さんは私を見るなり、泣き叫んだ。
「人殺し!外に出てくるな」
「私の夫を返せ!」
怒りとも叫びとも聞こえるその言葉は、私の脳に直接刃物を刺されたように感じた。
どこからか、私が飲酒運転の加害者だということがバレたようだ。
(これが、被害者の家族の言葉なのか…)
宮浦さんは、飲酒運転の被害者遺族だ。
どこか冷静に宮浦さんの言葉を受け取った自分がいた。
泣き続け、怒りをぶつけ続ける宮浦さんは、周りの仲間に抱き抱えられながら事務所に戻って行った。
「内田さん、申し訳ないが、ここへはもう来ないでほしい」
こうして、私の贖罪は志途中で道を断たれた。
自分の罪を償うなどと言いながらも、被害者の気持ちをこれっぽっちもわかっていなかったんだと気づかされた。
それと同時に、結局は自分の保身のために身の上を隠し、自分の罪悪感を消すために、被害者からの言葉を待っていた自分に気がつき、愕然とした。
(私は一体、これからどうしたらいいんだ…)
私は、自分がこれからどうすべきなのか、本当にわからなくなっていた。
しかし、1つだけ気がついたことがある。
私への言葉は、宮浦さんの大切な人を奪った犯人への言葉だった。
あの言葉の1つ1つが、自分が求めていたコトバであり、向け続けられるべきである言葉だったと、感じたのだ。
(やっと、私が受けるべき言葉が届いた)
私の中で何か光が見えたような気がした。
それから、街を歩いていても、時折厳しい言葉を投げつけられるようになった。
私は黙って頭を下げた。これが私の受け取るべき言葉なのだ。
誹謗中傷
それから私は、飲酒運転事故の加害者として、SNSで発信を始めた。
コトバが有限になって以降、わざわざ汚い言葉にお金を払う人は少なくなった。
だが、人間の中にある黒い感情がなくなったわけではない。
ネットやメディアは今まで以上に荒れ果て、毒の掃き溜めと化していた。私はその毒の海に飛び込んだ。
毎日のように届く、誹謗中傷。
「被害者の気持ちを考えたことがあるのか」
「同じ目に合えばいいのに」
「信じられない、消えて」
そうだ。この毒を浴び続けていれば、贖罪になるかもしれない。
そう思いながら、来る日も来る日も罪を告白し続け、誹謗中傷という言葉の海の中を泳ぎ続けた。
伝わらないコトバ
毎日のように言葉の毒を浴びることで、私の心はすり減っていった。
「被害者の苦しみはこんなものじゃない」
毎日のように寄せられるコメントを読んで、その通りだと思っていた。こんなことをしても、何かが変わるわけではない。
しかし、自分を傷つけることでしか存在している理由を見出すことができないのだ。
そんなある日、私のSNSに1つのリンクが貼られていた。
貼られていたネットニュースを目にしたとき、心臓がつぶれてしまうかと思った。
被害者の家族が、飲酒運転の取り締まり強化を求める活動をしている、という内容の記事だった。
私が飲酒運転で命を奪った少女の母親のインタビューが載っている。
鼓動が速くなり、動悸がする。
記事を見るのが怖い。いったいどんな気持ちで過ごしているのか。
インタビューを見て、私は泣き崩れた。
『娘を奪った犯人への怒りは消えません。真っ暗な毎日を過ごし、娘を思うと今でも涙が止まりません。しかし、憎しみに囚われるのではなく、同じ悲劇を繰り返さないために行動したいとやっと思えるようになりました。犯人には、私たちの気持ちを分かってほしいなんて、思っていません。何をしても、何を言われても、娘は帰ってこない。この事実が変わらない限り、何も求めていません』
涙が止まらなかった。取り返しのつかないことをしてしまったのだ。
わかっていたつもりだ。しかし、心のどこかでは、“前を向いて歩んでいてほしい”と祈っていた。
それは、自分のための祈りでもあったのかもしれない。
どんな形でもいい。私を憎むことで、憎しみの感情をぶつけることで、前を向けるならそうして欲しかった。
でも、違うんだ。
憎む、許す、悲しむ、そのどれもが、大切な人を取り戻すものにならない。
行き場のない感情と、向き合っていかなければいけないのは、どれだけつらいことだろう。
「ご.…めんなさっ…ごめっ…ん」
私は、声をあげて泣いた。
誰にも届かず、意味をもたない言葉を、嗚咽と一緒に吐き出し続けた。
言葉にならない声を発し続けたところで、何かが変わることなどないのに。
自分なら大丈夫。その言葉に、根拠は何もない。
ー第8話 終ー
この記事を書いたライター
Nishino
アパレル業界一筋15年。2人の子どもを育てる副業ライター。現在はシナリオライティングをメインに活動中です。おもしろいことが好き!おもしろい人が好き!そんな自分の「好き」を伝えられるライターになりたいです。いえ、なります。
夢は開業...