インターネット以前に文章をせっせと書いたなんて、ラブレターくらいだ!
東北放送「男女りすなぁ若者語」の豪勢な公開録音。ハガキ職人でヘビーリスナーの筆者は知り合った女子へよくラブレターを書いた
───よろしくお願いします。ライターになるくらいだから、子どもの頃から本を読んだり文章を書くのが好きだったんですが?
そこまで原点をさかのぼりますか?(笑)子どもの頃は別に普通です。親父が車を買い替えるっていうんで、毎日のように持ち帰ってきたトヨタのカタログで字をあらかた覚えてしまい、むしろひらがなばかりの絵本なんてあまり読んだ記憶がないとか。
さらにこれも親父の影響で、ブルートレインとかの鉄道もの、軍用機、軍艦とか軍事もので子ども向けの本じゃ物足りなくなって、10歳の頃から「丸(軍事雑誌)」や「世界の艦船」、「航空ファン」を読んでたけど、文章との出会いは姉の影響ですね。
星 新一のショート・ショートとか、火浦 功の『ハードボイルドでいこう』や「みのりちゃん」シリーズとか…
文学的なものは学校の教科書で十分、それ以外はつまんない!って普通の子どもでした。
あ、でも作文を書くのは速かったかな…速く書くだけで内容がないし字もヘタクソだからか、小学校3年生の時は提出した担任がチラ見だけして目の前で破り捨てられたり、読んだり書いたりが好きだなんて、とても、とても。
───軽く言いましたが、トラウマレベルの体験をしているような?
子どもの頃にはそんな思い出のひとつやふたつ、誰でもありますよ。
高校の頃には地元のラジオ番組(東北放送ラジオ「男女りすなぁ若者語」・通称「若りす)にハマって、ハガキ職人…って今の人はわからないかもしれませんが、ハガキに思いついたネタを書いて毎日送ったものの、アレも一発ギャグみたいなもんで、文章とは言えません。
当時、一生懸命に文章考えては書いてたのって、ラブレターくらいじゃないかな?
これも21世紀の人はメールやSNSですから、そんなもん送らないですよね…
そんで彼女にフラれたら、夜中に家の近所の用水路のそばで燃やしたことが何度あったか。
今で言うとSNSで大はしゃぎしたけど残念な結果になって、アカウント画像真っ暗にした後で一生懸命ツイ消しして、何もなかったことにするみたいな?
インターネットの扉を開いたら、テキストサイトの全盛期!
2000年にPCを入手しネットサーフィン開始、14インチのCRTディスプレイは2012年まで、キーボードはなんと今も現役
───スイマセン、ゴメンナサイ、私が悪かったので、Webライターの「原点」について…
うん、会社で仕事には使ってたんですが、いよいよ自宅にパソコンが来たのは2000年、それまでPHSの小さな画面や、仕事中か夜にネカフェのパソコンで見るだけだったのが、自宅でできるようになった!
早速ISDN…昔の64kbps高速通信回線…を契約してネットサーフィンを楽しみ、既にPHSで立ち上げていた自分のホームページも、パソコンで更新するようになりますが、そうなると他人のホームページも気になるので、あちこち見に行くわけです。
そこでいつしかハマってたのが、「侍魂」や「popoi」といった、テキストサイトでした。
───テキストサイトって、なんですか?
これは昔のホームページについて、ちょっと説明が必要かもしれませんね。
その頃はTwitter(現・X)やFacebookはもちろん、mixiみたいな初期のSNSもブログサービスさえ無かったから、個人が情報を発信できる手段って限られていたんです。
2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)は当時からありましたし、Yahoo!掲示板とかもありましたが完全に匿名での発信なんて「裏サイト」みたいなもんで、個人がホームページビルダーとか使ってホームページを作り、BBS(掲示板)を置いて交流するのが一般的でした。
もちろんコンテンツの1つ1つは管理人の手作り、健全な集まりで人が増えたらオフ会で集まって楽しもう!ってなもんで、みんな良質なコンテンツを作ろうとしてたから、そりゃ文章力にも磨きがかかるし、画像なんかも無加工でのっけたり、大らかでしたね。
名前こそハンドルネーム(H.N)でしたが、オフ会で顔合わせるから知り合い同士は本名知ってたりで、匿名とは言い難いリアルな付き合いがメインです。
しかしそこに、匿名で何気ない普段の出来事…あまり「普段の」じゃないかもしれませんが、ネタ満載で面白おかしく書いて、画像もほとんど載せず日記帳みたいにただテキストを並べるサイトが現れた…それがテキストサイト。
ま、後のブログやSNSの原型みたいなもんですが、それを業者のプラットフォームに頼らず、(実態は不明ですが)あくまで個人で作っていたのが大きな違いですね。
匿名テキストサイトでありながら、スターダムへのし上がったトレンドたち
「侍魂」や「popoi」を読み笑い転げた当時27歳くらいの筆者…PHSのイヤホンジャックに刺す10万画素カメラで自撮り
───あ、これがその「侍魂」ですか。結構文字数多くて、ブログみたいな感じですね。
実質2001年から2002年初めまで1年チョイのサイトで、最終更新から20年近く放置なのに、健さん(管理人)もよく残してますよね…入江 舞さんって女性が管理人の「popoi」はサイトが消えちゃいましたが、ぶっちゃけ女子会トークみたいな内容が面白かったです。
popoiでよく覚えてるのは、舞さんの弟が「ねーちゃん、米びつに虫が湧いたけど、どーしよー」って電話で泣きいれて来た時の一言。
「天日で干せ!」
ですかね…いや、もっとこう、若い女子なんだから優しく…なんてないのが、なんか刺さった(笑)。
今でもXとか文字数制限あるSNSで、画像も使わず一言でバッサリ斬っちゃう一発ネタとかありますけど、その走りって感じです。
───「侍魂」にも、そういうキラーコンテンツが?
侍魂の健さん(管理人)はもうちょっと凝ってるというか、積極的にネタを仕込んでくる感じでしたね。
ブレイクしたのは「ヒットマン事件簿へようこそ」でしたが、私はもう「先行者」シリーズの外伝、「中華キャノン」で口をポカーンと開けて呆然とした後、笑うやら驚くやら…GIFアニメってこれで初めて知りました。
後にインターネットのトレンド誌『ネットランナー』で付録についてきたプラモデル、今でも持ってますよ。
ハラハラドキドキのサスペンス的展開あり、フォントや画像も駆使して文章に「溜め」をうまく作ったり、でも最後は大抵間抜けなオチで終わったりで、他にも先駆者はいたかもしれませんが、「侍魂」に刺激されてサイトやブログ立ち上げた人、多かったかも?
私も自分で立ち上げたサイトは、今見ると中2病じみた文章に、当時のPHSでは最先端だった10万画素(笑)のカメラで撮った画像を掲載したり、当時乗ってた車の情報サイトとしてはそれなりでしたが、とてもメジャーで通用するコンテンツじゃなかったです。
そういう引け目もあったから、なかなか「Webライターやって、それで金もらおう」なんて思えませんでしたよ。自分は「侍魂」の健さんや「popoi」の舞さんみたいに人をひきつける文章は書けない、そんな奴が金もらっちゃいけないだろうって。
健さんや舞さんになれなくても、ライターとして自分なりの生き方がある
道はいくつもある!戦隊モノでレッドになれなくても何色だっていい!カレー好きなら黄色だが…人生も同じだ!(たぶん)
───でも今はライター歴も10年近くなり、少しは…?
いや全然ダメ!ダメですって!(笑)
たまにウケ狙おうと思う時もあるし、試みることもあるんですが、大抵は他人のフンドシをパクったようなネタばかりで、オリジナルには全く自信がありません。
やればやるほど、人間としての底の浅さを実感するというか…ただ、自分でも得意分野の車なら長年見てきましたし、普通の人にはない経験も多少はしてきましたから、自分なりに底の深いとこで、でもなるべく「ヒョーロンカ」にはならないようにしてるくらいですね。
あんま偉そうな事を言うと、X誌のS編集長に怒られちゃいますし。
「侍魂」とか「popoi」みたいなエッセイ風、コラム風の日記帳で魅せるとか自分には無理ですし、専門分野から一歩出るとロクことにならないので、自動車業界の片隅でひっそりと捨て扶持をいただいてる、ケチな物書きでやんす…ってのがせいぜいです。
あの頃のテキストベースWebサイトには憧れましたし、夢も見させていただきましたが、格の違いも見せつけられたので、変な欲をかかずに細く長くやれそうかなって意味では良い影響を受けましたし、Webライターとしての原点は常にそこにあるって感じですね。
私と同じような想いを当時持ってた人は他にもいると思うのですが、あそこまでメジャーにならなくても良いのですから、あの頃に自分のホームページやブログに文章書いてて楽しかったなら、昔の調子でライターやってみたら、案外面白いかもしれませんよ?
今日はちょっとした昔話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
この記事を書いたライター
兵藤忠彦
失われた10年?30年?まあボチボチ気楽に生きましょうや!という1974年生まれの専業ライター。自動車関連が専門の中では珍しいダイハツ派で、過去に全日本ジムカーナへスポット参戦時はストーリアX4やリーザTR-ZZ、現在もソニカRSリミテッドが愛...