【第11話】恋をしている自分が嫌いだ
七瀬ひかりは27歳。その活躍ぶりは国内にとどまらず、韓国や台湾などアジア圏のドラマにも多数出演している、名実ともに日本を代表するトップ女優だ。
明見との共演作も多数あり、息のあった演技にこれまで何度も熱愛の噂がたっていた。
ドラマの収録が終わり、叶の車に乗った勝利は平静を装って叶に聞いてみる。
「ねぇ、麗さん。明見久遠と七瀬ひかりって、本当に結婚したの?」
叶は答えた。
「真偽のほどは定かではないけれど、今まで噂にもなっていたし、結婚しても不思議じゃないんじゃない?」
なんだか指の先が冷たくなってきた。
視界が狭まり、呼吸が苦しいような気がする。勝利はあがいた。
「でもさ、目撃情報とか一切なかったじゃん」
「そんなの明見久遠ならマスコミ対策徹底してるんじゃない?ほら、最近結婚したアナウンサーの辻まりあと俳優の磯部保だって、まったく噂がなかったじゃない」
信号が赤になった。
歩道に面したカフェのオープンテラス席でドリンクを飲んでいる女子高生がスマホをみながら何やら楽しそうに話している。
もしかしたら、彼女たちは明見と七瀬の結婚の話で盛り上がっているのだろうか。
再び信号が変わり、叶がアクセルを踏む。
女子高生たちはあっという間に置き去りになった。
「まぁこれで、あすみやブームはいったん落ち着くかもね。でも、今の勝利の演技、業界でも評判だから、あなたの人気には影響しないから大丈夫よ」
返事もせずに窓の向こうを見ている勝利の姿をちらっと見た叶は、話をつづけた。
「あなたの前に私がマネージメントしていた満田京子、覚えてる?」
満田京子は40歳の中堅女優。
3年前に事務所から独立したが叶とは今でも連絡を取り合う仲らしい。
「彼女、失恋するたびに言ってたわ。『よかった。これで私の演技により一層深みが出るわ』って。本音なのか強がりなのかはわからないけどね」
思いがけない話の展開に、勝利は窓の外から叶の方へと視線を移す。
そんな彼を再びちらっと見て、ほほ笑みながら優しい声で叶は言った。
「どんな辛いことがあってもそれを演技へと昇華できる。それが俳優の特権だと思うのよ」
「え?」
「側にいる私が気づいていないとでも思った?あなたが明見久遠に恋していること。でも、いばらの道になると思ったから、あえて触れずにいたのよ。いつかあなたが打ち明けてくれる時を待っていたけど…こうなったら仕方ないわよね」
「ありがとう」
鼻の奥がツンとして、そういうのが精一杯だった。
勝利はふたたび窓の外に目をやる。
高い空から降り注ぐ日差しを浴びて、街も人もキラキラと輝いている。
速足で歩くサラリーマンも、ゆっくりとベビーカーを押す母親も、みんな幸せそうで、自分一人だけ取り残されているような気持ちになった。
家に帰ると同時に、スマホの着信音が鳴った。明見かも?とかすかな期待を抱いて画面を見たが、そこに表示されていたのは「しずる」という名前だった。
あぁ、でも、しずるでよかったのかもしれない。
そう思って勝利は靴を脱ぎながら電話に出る。
「落ち込んでるんじゃないかと思って」
やさしいしずるの声に、涙が出そうになるが、ぐっと耐えた。
泣いたら自分があのニュースを現実だと認めたことになるじゃないか。
明見の口から真実を聞くまで、俺は信じない。
「ありがとう。でも俺、大丈夫だよ。だって今まで明見さんからそんな話聞かなかったし、目撃情報とかもなかったじゃん?」
「…それは明見久遠がしっかりマスコミ対策してたからじゃない?」
しずるも叶と同じことを言う。
誰かひとりくらい、「そうだよね」と同意してくれる人はいないのだろうか。
そうすれば、きっと救われるのに。
「俺、明見久遠がどういう人間かわからないけどさ」
スマホの向こうでしずるが話を続ける。
勝利は靴を脱ぎ、室内に入ったけれど、その場から一歩も動けず立ち尽くしたままだ。
「不誠実だと思う。勝利に対しても、ファンに対しても。七瀬ひかりと結婚する予定があるのなら、あすみやの仕事なんて受けるべきじゃなかったと思うよ。しかも写真集が発売されて、また盛り上がっている時なのに。最悪のタイミングじゃん」
「だからこそ、ガセネタなんじゃないのかな。だって、明見さん、プロ意識高いから、こんなタイミングで結婚したら、ファンががっかりするって、絶対わかってるはずだよ」
「でも、次のドラマで、また明見と七瀬が共演する、って噂だよ。話題性はじゅうぶんじゃん」
砂漠の真ん中でひたすら砂を掘って地中の水盤を探すさまよい人のように、勝利はかすかな希望を見つけようと必死だった。
しかし、そんな彼にしずるは容赦ない。
「そんな男なんだよ。もう、明見は次に進んでいるんだよ、勝利。君ももう、あすみやから卒業するべきなんじゃないかな」
心配してかけてきた、という割に、しずるの言葉は、勝利を奈落のそこに突き落そうとしているように感じる。
そのあとの会話はよく覚えていない。
電話を切った後、勝利は力なくその場に座り込んだ。
明見さんの声が聴きたい。
でも、電話をかけて、噂は本当だ、と言われたら?
勝利はスマホの電源をオフにした。
「まだ思い出全然作れてないじゃん…」
そう呟いて、声を押し殺して泣いた。
「大丈夫?ちゃんとやれるの?」
叶が運転席から心配そうに声をかける。
今日はあすみやのグラビア撮影だ。
明見久遠と七瀬ひかりの電撃結婚の報道が流れてから、SNSはあすみやファンの嘆きで埋め尽くされていた。
ーもう、「星彼」は見れない
ーあすみやはリアルだと思ってたのに
ーやっぱりカップル営業はドラマの話題作りだったんだよ
なかには希望を捨てていないファンもいた。
ーまって。まだ、明見も七瀬もコメントだしてないじゃん。2人の発表があるまで私は信じない
しかし、勝利がもっともダメージを受けたのは、勝利に対する同情のコメントだった。
ー宮田くん、失恋しちゃったんだね。かわいそう…
ー宮田くんの気持ちを考えると、涙が出るよ
勝利はそんなコメントを思い出しながら、叶に答えた。
「大丈夫だよ。SNSでみんな好き勝手書いてくれたのにはまいったけどね」
「…こんなときにエゴサはやめときなさい」
叶の声はいつになく優しい。
でも、気を使っていくれているのが感じられると、あの噂は本当なのかも、という気がして、辛い。
あの日以来、明見からの連絡はない。
いつも通りの柔らかな笑顔で、さっそうと明見がスタジオに入ってきた。「この人はもう、自分の手の届かない所に行ってしまったのかもしれない」そう思うとよけいにまぶしく、魅力的に見えるのはどうしてだろう。明見と目が合った。勝利は慌てて目をそらす。
「撮影はいりまーす」
というアシスタントの声がスタジオに響いた。
撮影はとどこおりなく終わった…と思う。
いつもと変りない、仲睦まじいあすみやを演出できた…ような気がする。
ただ、明見と見つめ合ったり、明見に触れられたりすると、全身に緊張が走ったが。
撮影が終わると、明見に話しかけられないよう、勝利は逃げるようにその場を離れた。
ドラマの撮影スタジオへと車を走らせながら、叶が呆れたように勝利に言った。
「あなた、明見久遠と話もしてないの?」
「…うん」
「実は結婚することになった」と言われるのが怖くなった勝利は、明見からの電話を着信拒否しているのだ。
「ダメよ。それじゃあ。いつまでもうじうじ考えちゃって前に進めないじゃない。クールじゃないわ。ちゃんと話をして、本人の口から答えを聞くべきよ」
「わかってるけど。それはもう少ししてから…」
今はまだ、怖い。
少しずつあすみやの仕事がなくなって、会う時間が減ってから…その時が来たら。
「そんなことしてたら一生引きずるわよ」
車がスタジオに着いた。
「早くケリをつけなさい。じゃないと…あなたの恋心が、あまりにも可哀想よ」
「俺も叶さんと同意見。着拒なんて姑息な真似せずに、さっさとケリをつけるべき」
容赦ないことを言われる、とわかっていながら、勝利はしずるに電話をして、しずるの意見を伺った。
いや、誰かと話していないと、明見のことばかり考えておかしくなってしまいそうなのだ。
「てかさ、実は噂がまったくのガセネタで、そのことを弁明しようと明見が勝利に電話をかけたのに、着拒されてた、ってなったらどうする?ちゃんと説明したいのに、拒否られたから想いがさめる、ってこともあると思うよ」
その可能性は考えていなかった。
でも、しずるもいい加減なものだ。
前は明見と七瀬の結婚は確定的だと言わんばかりだったのに。
「ねぇ、今、勝利は明見久遠のこと、どう思っているの?」
しずるが聞く。
「…わからないけど。でも、結婚の話は信じたくない。本人の口から、『あの話は嘘だよ』って聞きたい。でも、それ以外の言葉を聞く可能性があるのなら…会いたくない」
「勝利は、明見久遠に『好き』って言ったの?」
「…言ってない」
言っていないし。言われてもいない。
「じゃあまだ、スタートラインにも立っていないんじゃん?いっぺん、ちゃんと好きって伝えてみた方がいいよ」
ーそして、こっぴどくフラれちゃえばいい。
しずるはそう思った。
「…でも、キスはしたよ」
思いがけない勝利の告白に、しずるは心臓を誰かにつかまれたような感覚を覚えた。
「…そうなの。じゃあ、脈ありかも知れないんだし、なおのこと、ちゃんと聞いてみれば?頑張って」
そう言って、電話を切ったしずるは、手の震えを止めようと、必死で深呼吸した。
動揺が抑えられない。
しずるは震える手で画面をタップし、再びスマホを耳に押しあてた。
「おう、どうした?」
スマホの向こうから、寝ぼけたような清原の声が響いてくる。
「猛さん、大ニュース教えてあげる」
「なんだ?どっかで食い放題の店でもオープンしたか?」
「違うの!なんと、勝利がね、明見久遠とキスしたって!その後に、明見と七瀬ひかりの電撃結婚のニュースでしょ。明見もちょっと節操ないというか…プロ意識にかけるよね。俺、見損なっちゃった」
「…なんだ、くだらねぇ」
吐き捨てるように呟いた清原の声色が、今まで聞いたことのないものだったので、しずるは全身に氷水を浴びた気持ちになった。
「…え?」
「で、何が言いたいの?明見と宮田がキスをしてショックだった、って話?それとも、宮田が明見に失恋して嬉しい、って話?」
「…」
「まぁ、いつでも話なら聞くけどさ。あんまり面白くない話だわな」
「…ごめん」
そう言ってしずるは画面の通話終了ボタンを押した。
涙が次から次へと溢れてくる。
ー俺は、絶対に利用しちゃいけない人を利用していたんだ。
手のひらで涙をぬぐうと、しずるは嗚咽を漏らした。
ーだから、恋する自分は嫌いなんだ。
ー第12話へ続くー
この記事を書いたライター
大中千景
兵庫県生まれ広島在住のママライター。Webライター歴8年、思春期こじらせ歴○十年。SEOからインタビューまで何でも書きます・引き受けます。「読んで良かった」記事を書くべく、今日もひたすら精進です。人生の三種の神器は本とお酒とタイドラマ。