【第12話】それは、2人だけの特権
「好きって言った?」
勝利はベッドに寝転がって、しずるの言葉を思い出していた。
「じゃあ、スタートラインにも立っていないんじゃん」
そうなのか。俺たち、まだ始まってもいなかったんだ。そう考えると涙が目じりに滲んでくる。
「あなたの恋心が可哀想よ」
今度は叶の言葉が頭に響いた。
ごめんね。でも、今はまだ、俺は向き合う勇気がないよ。
「だって、まだ、明見さんのことが大好きなんだ」
そう呟いた勝利は、涙がこぼれるままに泣いた。
電撃結婚のニュースから1週間たった。
明見と七瀬からはいまだに正式なコメントは発表されていない。
それをいいことに、SNSではさまざまな憶測が流れていた。
ー七瀬ひかりが妊娠してて、安定期に入ってから記者会見するらしいよ
ー新作ドラマで2人共演するから、制作会見で結婚発表するって聞いたよ
一方で、あすみやの話題はどんどんと少なくなっていった。
「そんなもんだよなぁ。みんな」
画面をスクロールしながら勝利は呟いた。
こうやって、好き勝手にカップルが仕立て上げられ、消費され、そして忘れられていく。
でも、明見がかけてくれた言葉、むけてくれた優しいまなざし、そして、観覧車でのキス。
あれはすべて事実だ。
事実だからこそ、今、猛烈に胸が痛い。
そして、いまだに着信拒否は解除していない。
電撃結婚のニュースから10日ほどたった。
この日は久々のオフだった。
「撮影が入っている方がよかった」
勝利はひとり呟いた。だって、仕事をしていたら、色々考えなくても済む。今日は何をしようか。
長い1日をどうやって過ごせばいいのかわからない。
あのニュースを目にしてから、勝利の人生から色彩が奪われたような気がしていた。
仕事をしているときは、宮田勝利ではない誰かになれるから、気分がまぎれる。
でも、宮田勝利に戻った途端、虚しさが胸を襲う。
これからの人生、ずっとこの想いを抱えて生きていかなければいけないのだろうか。
そう思うと、深いため息が出るのだった。
部屋の掃除を済ませ、たまっていた洗濯を終え、一息ついていると、勝利の部屋のインターホンが鳴った。
モニターに映る姿を見て、勝利は目を見張った。
そこに映っているのは、明見久遠だった。
「…どうして俺の家がわかったんですか」
扉を開けて、玄関口に明見を入れた勝利だが、部屋の中へと通すつもりはない。
廊下に立ったまま勝利は訪ねた。
「叶さんに聞いた」
同じく玄関に立ったまま、勝利の目を見て明見が答える。
「最初、君が撮影しているドラマのスタジオに行った。そしたら、君の出番はないと言われた。だから君の事務所に行ったら、叶さんが居たから君の家を聞いた」
麗さん、余計なことをしてくれる。
勝利はせいいっぱいの皮肉を込めて言った。
「こんなところに来た、って七瀬さんが聞いたら、悲しみますよ。これ以上人を傷つけないでほしい」
「…なんのことだ?」
「…結婚するんでしょ」
「君はそれを信じて、俺から離れようとしたのか?」
少し呆れたように明見がいう。
「何も正式発表されていない、ゴシップを信じていたの?」
勝利はカッとなって叫んだ。
「だったらなんですぐに電話してくれなかったの?!『こんなニュースが出るけど、嘘だからね』って一言言ってくれれば、俺だって安心できたのに。それに、明見さんも七瀬さんも、何も正式にコメントを出していない。
新作ドラマで結婚発表する、ってみんな言ってたし」
「結婚発表はするよ」
明見が静かに答えた。
勝利は腰の力が抜けるのを感じた。
目の前が暗くなる。
座り込みそうになる勝利の腕を明見がつかむ。
「放してください!」
「嫌だ」
明見が勝利を抱き寄せる。
「結婚発表をするのは、七瀬ひかりだけだ。彼女は以前から付き合っていた高校の同級生と結婚する。俺と七瀬は共演作は多かったけど、ただの俳優仲間だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「でも、すぐに連絡してくれなかった…」
「撮影が佳境に入っていた、というのもある。それに、君が信じるわけがないと思っていた。あの観覧車のことがあって、心は通じ合った、と思っていた。その矢先だったから、あんなゴシップに振り回されるわけがない、と。浅はかだったよ。ごめん」
明見が勝利の髪を撫でながら話す。
「俺は観覧車で、ムジカは幸せな思い出があるから生きていける、といった。でも、君と連絡できなくなってから、俺は思った。俺は、思い出だけじゃ生きていけない」
明見は勝利の頬を優しく両手で包んだ。
「君が側にいなきゃ、嫌だ。これからずっと、一緒に歩いていこう。好きだよ。勝利」
…私もです。私も大好きです。勝利
ドラマ撮影時の明見の声が蘇った。あぁ、やっぱりあのとき明見さんは、そう言ってくれたんだ。
「…俺もです。俺も大好きです。久遠さん」
勝利は泣き笑いの表情で、あの時のムジカのセリフで答えた。
ふたりは、静かに唇を重ねた。
その頃、同じくしずるの部屋にもインターホンが鳴り響いた。
前日朝まで俳優仲間と飲んでいて、ひどい二日酔いに襲われていたしずるは、けだるそうに応答ボタンを押して
「…どちらさま」
と尋ねた。
モニターを見ると、いつものごとくチェシャ猫のように笑う清原の顔がアップで映し出されている。
「猛さん?」
しずるはあわててオートロック解除のボタンを押す。
あの電話以来、清原からすっかり連絡が途絶えたので、てっきり嫌われたと思っていたのに。
再びインターホンが鳴った。
玄関の扉を開くと、両手を背中に回した清原が笑顔で立っていた。
「…どうしたの?」
というしずるに向かって、清原は真っ赤なバラの花束を差し出す。
「なに?」
状況が呑み込めないしずるに清原は笑顔で話しはじめた。
「しずる、前に言っていたよな。『恋をする自分が嫌いだ』って。俺は、お前に恋している自分が好きだ。もともと自分のことは大好きだったけど、お前に惚れてから、一途な自分がますます好きになったんだ」
「…」
「あの電話は面白くないと思ったし、もうきっぱり諦めようと思ったけど、やっぱり無理みたいだ。なぁ、トライアル期間を設けてくれよ。俺、今から俺の魅力をめっちゃくちゃお前にプレゼンしていくから」
しずるの目に涙が溢れる。
どこまでもこの人は優しい。
涙を拭いながらしずるが聞いた。
「トライアル期間の期限はどれくらいなの?」
清原が自信たっぷりに答える。
「それは、お前が俺に惚れるまでだ」
明見と勝利は、勝利の部屋でソファに二人並んで座っていた。
「さっさと否定のコメント出せばよかったのに」
勝利はまだ明見を責めている。
「七瀬が、否定のコメントだして、その後にまた結婚報告のコメント出すの面倒くさい、って言ったんだ。あいつ、あんまりマメな事は嫌いだから。それに…」
頭をかきながら明見が言う。
「次のドラマで共演するから、話題作りになるかな、と思ったのも事実だ」
案外現金なところもあるんだな。勝利はそう思いながら、話題を変えるべくスマホを開いた。
そして、SNSは全く見ていない、という明見に、勝利がいいな、と思って保存していた「星から来た彼」の感想や後日談を描いた創作小説を見せてあげた。
一つひとつをじっくりと読み込む明見。
時には眉間にしわを寄せて考え込んだり、笑みがこぼれたり。
明見の反応が面白くて、勝利は彼の横顔から目が離せずにいた。
「…みんな色々なことを考えてくれている。すごく愛されたドラマだったんだな」
明見が勝利にスマホを返しながら言った。
「うん。それはきっと、俺の想いが視聴者に伝わったからなんじゃないかな、なんて思います」
勝利はおどけていった。
明見は笑って勝利の肩に手を回す。
「明見さん、あのドラマのとき、アドリブすごかったですよね」
勝利がいうと、明見はちょっと困ったような顔をして言った。
「迷惑だったか?俺がムジカならそうするだろう、という演技をしたんだけれど…」
「いえ。そのおかげで、俺もタツキになりきれたし、ムジカにどんどん惹かれていきました」
勝利はそう答えた。
心の中で「明見さんにも」と付け加えて。
「俺、あの話、好きだけどな」
明見が言う。
「タツキが夢の中でムジカとデートする話。目が覚めて、夢か、と思うけど、手にはお揃いで買ったブレスレットが握られていた…」
星彼のファンがSNSに投稿し、もっとも反響が高かった創作小説だ。
「大木監督に話してみましょうか?監督、すごく続編というか、スペシャルエピソードみたいなのを作りたそうだったから」
勝利の提案に、明見は小さく首を振って反対した。
「続編は、もう作らなくていい」
そして、優しく勝利を見つめる。
「スペシャルエピソードを楽しむのは、2人だけの特権だ」
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ムジカがいなくなって半年が過ぎた。タツキは相変わらずの毎日を送っている。
でも、いつの間にか、晴れた日には夜空を見上げるクセがついた。
空に瞬く星は無数にあって、どれがムジカの星なのかなんて、まったくわからない。
「でも、それでいい」
タツキはそう思った。あの中のどこかの星で、ムジカはきっと、笑顔で暮らしている。
時折自分のことを思い出しながら。
ムジカがいなくなってから、タツキはムジカが好きだと言っていた映画「ローマの休日」を見た。
一国の王女と新聞記者が、ローマで出会い、恋に落ち、そして別れる物語。お互いに背負っている運命があるからこそ、これでよかったのだ、と言い聞かせながら。
タツキは映画を見終えた後、ベランダに出て、空を見上げた。
「ムジカ、地球では『さよなら』が『愛してる』の替わりになることも、あるんだよ」
そんなタツキの声に答えるように、ひとつの星が大きくまたたいた。
********
ー完ー
この記事を書いたライター
大中千景
兵庫県生まれ広島在住のママライター。Webライター歴8年、思春期こじらせ歴○十年。SEOからインタビューまで何でも書きます・引き受けます。「読んで良かった」記事を書くべく、今日もひたすら精進です。人生の三種の神器は本とお酒とタイドラマ。