現在はどんな記事を書くライターなんですか?
ダイハツ系カーマニアというニッチな視点からお届けする自動車ライター
どーも、宮城県仙台市在住のフリーランスライター、兵藤 忠彦です。
以前は他の分野で書いていた事もありますし、時には紙媒体で東日本大震災の復興ルポも連載していましたが、今は100%自動車関連に特化して、自動車情報サイトを運営中の数社と契約しています。
クルマそのものだけではなく、自分では「自動車民俗学」なんて言ってますが、「そのクルマやメーカーが、時代や文化とどう絡む存在だったか」という切り口を得意にしているせいか、自分が青春時代を過ごした1990年代以前のクルマについての依頼が多いですね。
もともとクルマ好きでしたがエンジニアではなく、自動車関連の企業へ勤務した経験もありませんから、自分が勝負できる土俵でユーザーサイドに立った記事を多く書いてきました。
スポーツカーや高性能車にベッタリではなく、「ゴリゴリのダイハツ派」なんてクルマ好きとしては異端もいいとこですが、それがかえって「どんなクルマについても書けるライター」として、便利に使っていただいていて、最近はEV(電気自動車)を勉強してます。
ライターになる前は何をしていたの?
鉄工所に勤める前、職業訓練の溶接科にいた頃の兵藤
某地図会社に新卒で7年勤めた後、システム開発会社でプログラマー、東京に出て入退室管理システムなどの輸入代理店、某通信系大手の営業と、いろいろです。
最後に雇われた鉄工所で2011年3月の東日本大震災に遭遇し、工場全体がガッチャンガッチャン悲鳴を上げる中、ああ自分ここで死ぬんだなと…もちろん死なないから今があるわけですが。
被災3か月後くらいから、かつて自分が地図を作って、津波被害を受けた地域の惨状を確かめて回るうちに、「いつ死ぬかわからないなら、自分が好きなことをやって生きよう!」って思っちゃったわけです。
それで鉄工所も退職し、いろいろと準備をして2012年12月に「713R’s GARAGE」という屋号で独立起業、自動車部品のネット販売、モータースポーツイベント運営が、当初の主な業務内容でした。
どうしてそこからライターになったの?
東日本大震災で一念発起、起業したわけだが…
起業したはいいもののネット販売は目玉商品のピークが過ぎ、ジムカーナ(舗装路での短距離タイムアタック競技・主に四輪)のイベントは毎度のように赤字、おまけに当初は実家の自分の部屋で起業したものの、実家の事情で引っ越さざるをえず、支出ばかり増えました。
しまいには物を売るにも仕入れ金がないと困り果て、起業から3年足らずで行き詰まり、何をしていいかわからぬ苦境をITやWebについて教えてくれた師匠へ相談したら、「兵藤さんがSNSとかで書いてる文章読むと面白いし、ライターやったら?」と言われまして。
文章がお金になるとしても、それは限られた人の話だと思ってましたが、仕入れ不要で売り上げを出すにはもうコレしかない、行き詰まった自分が売れる最後の商品は「自分自身」だと、ライター業を始めたんです。
ライター業の始まりはどんな調子でした?
ライター業を始めた頃のデスク…今も基本的には変わらない
よしライターやろう!と思っても、最初は何していいかわかりませんから、クラウドソーシングの「ランサーズ」へ登録し、何でもいいから案件を探しました。
最初は健康関連のリライトだったと思いますが1本300円くらい、安くてもいいからまず修行でしたが、食い扶持に困るので、パン工場で働いたり、某大手通信系企業のインフラ保守を請け負ったりしましたが、あくまでライター業が軌道に乗るまでの一時シノギです。
そのうち、「新しい自動車情報サイトのライター募集」という案件があって、やっぱり「好きこそ物の上手なれ」ということでしょうか、最初からある程度の専門知識を持ってる分野だと、面白いんですね。
書くために調べ物して新しい知識をつけては「自分が何も知らないことを知る」の連続ですから何もかもが新鮮で、書き続けるのが苦ではなくなりました。
そういう「正のスパイラル」が始まった2015年8月、ようやく現在の自動車ライター・兵藤 忠彦が始まったわけです。
なんかノリノリでワーケーションに出かけたとか?
西表島のワーケーションは良かった…(遠い目)
「自動車関連のWebライター」と方向性が決まれば、自分が何を売り込めばいいかわかっているので、話が早くなります。
新しいクライアント様を開拓すべく、Webメディアの問い合わせフォームや直接メールでも営業をかけて、複数のWebメディアに最盛期で月に数十本書き、さらに校正まで請け負っていたので、単価は低くともそれだけやれば実入りもいいわけです。
そこで2016年の3月には沖縄の西表島へ1週間ほど「ワーケーション」とシャレこみ、民宿で朝からノートPCで仕事しては昼に自転車こいで「日本最南端のラーメン屋」へ、戻ったらまた仕事して夜は「日本最南端の寿司屋」でたらふく食べ、仕事も遊びも全開でしたね!
仙台へ帰る日にクライアント様から急ぎで校正の大量依頼が入り、中継地の関空でもラウンジで仕事するハメになりましたが、いい思い出です。
その後、何度か潰れかけたって本当ですか?
トンネルのような不況はあるが、抜けられると信じて
そうですね、「好事魔多し」で、そろそろアシスタントの1人でも雇おうかと調子に乗ってきた2016年の秋、自動車ライターとして1年経った頃に事件が起きました。
ある医療系キュレーションサイトが、内容は適当でいいからと安価にライターへ量産させた大量の記事の内容が当然デタラメで、万全のSEO対策で検索上位には表示されるもんですから余計に問題となり、大炎上したんです。
大々的に報じられたので覚えている人も多いと思いますが、あの事件からサーッと潮が引くように受注が激減、私も月に20万円の発注をいただいてたクライアント様から、2,000円しか来なくなる事態になりました。
私自身は、数だけこなして内容は適当なんて仕事はしてなかったんですが、社会全体の流れはどうしようもなく、ただただ、目の前が真っ暗になりましたね。
どん底からどうやって復活したんですか?
絶望から這い上がった時に浴びる光も醍醐
とにかく地道に営業するしかありませんが、「捨てる神あれば拾う神あり」、新興メディアを立ち上げる何社かと契約を結べたので、イチからやり直しです。
でも、一度大問題になったことや、GoogleがSEOの基準を切り替え、良質な記事が検索上位になる傾向が強まり、「数は少なくとも良い記事を配信しよう」という流れになって、単価も上がりました。
もちろん質は要求されますが、睡眠時間を削ってまで量を揃える必要はなくなり、クライアント様から依頼されるテーマも質が上がったので、仕事はやりやすくなったものです。
専業のフリーランスライターとして、心意気を教えてください
もうダメだと思った時は、肉食って元気出せ!
そうそう、2018年には他の業務をバッサリ休止、フリーランスライター専業になった後も、新型コロナ禍など仕事がない廃業の危機は何度もありましたが、そういう「土俵際」こそ、フリーランスとしての心意気が問われます。
ダメな時はダメですから、あえて国分町(仙台の繁華街)に繰り出し、「てやんでぇ!世の中腐ってやがるぜ!」と、行きつけのフードバーでウマイものを食べてヤケ酒のひとつもかましたら、黙々と営業かけるんです。
そんな事を何度も繰り返していたら、2024年でライター稼業も9年目、気がつけば自分にとって、一番長続きしている商売になりました。
「ライターになる」のは実は簡単で、とにかく何か書いて報酬をもらえば誰だってライターと言っていいと思いますが、山あり谷ありのフリーランスで続けていくのは容易じゃありません。
潰れかけて立ち直りを何度か繰り返し、それでも「私に書かせてくれ!」という欲望をむき出しにして、ライターで食い続けると決めた時、私は初めて「本当の意味でライターになった」と思います。
最後は根性論みたいになってしまいましたが、20世紀に青春時代を過ごした昭和生まれ、もう50歳になる人ですから、見逃してください(笑)。
この記事を書いたライター
兵藤忠彦
失われた10年?30年?まあボチボチ気楽に生きましょうや!という1974年生まれの専業ライター。自動車関連が専門の中では珍しいダイハツ派で、過去に全日本ジムカーナへスポット参戦時はストーリアX4やリーザTR-ZZ、現在もソニカRSリミテッドが愛...