序章
今月の請求書を見つめ、ため息をつく。
水道代、電気代、ガス代、そしてコトバ代。現代の生活に欠かせない四大経費だ。
人類は深刻な環境危機に直面していた。科学者たちの研究により、人間の発する言葉もまた、微量ながら二酸化炭素を排出しているためこれを規制すべきという見解が出た。各国政府は協議の末、「コトバ」に課税する政策を導入。
コトバの使用料は常にカウントされていて、使用料に応じた金額が請求される。
「家族団欒」なんて言葉が存在したと、授業で習った。無駄な話を家族とするなんて……今の時代では想像もつかない。
昔の人間が好き勝手に言葉を使ってくれたせいで、こちらはとんだ迷惑だ。
コトバ代
「未来、おはよう」
声の方に目を向けると、笑顔のお母さんがいた。
わたしはペコっと頭を下げる。
(……なんて無駄な言葉なんだろう)
コトバ代無償期間だった義務教育は、とっくに終わった。
高校生のわたしにとって、コトバ代は常に悩みの種だ。
バイトで稼いだお金のほとんどは、友人や恋人との会話に消えていく。
家族との会話は最小限に抑えているのに、なんでコトバ代を大切にしないんだろう。
受験のストレスも相まって、無駄な会話にひどく苛立ちを覚えた。
朝ごはんも食べずにそのまま家を出ると、すぐに友人とチャットをする。
未来:おはよ。昨日の配信みた?
サキ:おはよ。彼氏と喧嘩しててまだ見れてないー
未来:なんで?今日はその話詳しく。聞くよ
サキ:(スタンプ)
コトバ代のかからないチャットで、先に今日話す内容を決めるのが、わたしとサキの日課だ。友達との会話が何よりも楽しい。かけがえのない、わたしの青春。
横断歩道で信号待ちをしていると、隣で手をつないだ親子と一緒になった。
「ママ、今日さ、ぼくお当番だからさ、みんなの前でいただきますのご挨拶するんだ」
「それはすごいね!楽しみな1日になるね」
たわいもない会話が耳に届く。
(小学生の頃、わたしもお母さんになんでも話してたよな)
ふと、朝のお母さんの「おはよう」の声を思い出したその時、肩をポンと叩かれた。
「おはよう」のハンドサインで挨拶を済ませた相手は、サキだ。
「で、どうしたの?サキ」
「彼氏がさ、今月お金ないからあたしの誕生日に、どこにもいけないって。信じられないよね?」
「それはなしだわ。で、彼はなんて?代案なし?」
「それがさ、こっちは怒ってるのに、コトバ代も払えないからってチャットで喧嘩する羽目になって。まともな喧嘩にもならなかった」
サキは不満そうに話した。コトバ代は大きな出費だ。何に、どれだけお金を使うかは人それぞれ。
お金に対する価値観は、昔以上に人間関係の構築に重要なピースになっている。
早く大人になって、好きなようにお金を使ってみたい。友達と好きなことを思いっきり話したい。ずっとそんなことを思っていた。
ぼんやり授業を受けていると、チャットの通知が光る。
サキ:進路の相談親にした?
サキの質問に、思わず顔をしかめる。
未来:まだ…
未来の話
わたしは進学を希望している。
最近、ほとんど会話らしい会話をしていないが、家計が厳しいのではないかと考えていた。
父はいつからか酒を飲むのを止め、母は昔のように着飾らなくなった。
「お金がない」その一言を聞くのが怖くて、相談できずにいたのだ。
そもそも、最近はほとんど会話をしていない。なんて言われるか、想像もつかなかった。
サキ:来週三者面談だからね。早くしなよ!
サキからの返事を見て、無理やり心を奮い立たせる。
(先延ばしにしたって仕方ないか)
夕食の時間、唯一の音は、箸が皿に当たる音と、咀嚼音だけ。
静寂の中で食事をするのが当たり前になったのは、いつからだろう。
ご飯に視線を向けたまま、声を発した。
「あのさ、進路のことなんだけど……」
両親が驚いた表情で視線を向けたのがわかる。
胸の奥で何かがきゅっと締めつけられる。
「進学したいんだよね」
言った。いや、言い放った。両親の表情は確認できていない。
「うん。わかった」
お父さんからの思いがけない返事に、思わず顔をあげた。
「え、いいの?お金かかるよ」
「そんなことは、気にしなくていい。受験、がんばれよ」
お父さんもお母さんも、優しい顔でわたしを見つめていた。
無理やり作った表情じゃないことは、わかる。
この顔を見たのは、いつぶりだっただろう。
想像していたのとは全然違う表情の二人を見て、わたしの緊張も解けたのがわかった。
二人は「必要なことは、なんでも話しなさい。いつでも話せる準備はしているんだから」
と言ったきり、いつも通りお皿を片付けた。
それから、今まで通りの毎日を過ごした。
友達や恋人との会話にバイト代は消え、充実した毎日を過ごした。
進路のことを打ち明けてから、もう少し両親と会話しようとも考えたが、受験勉強とバイトの両立で、物理的に両親と話す時間はどんどん減った。
あっという間に季節が過ぎ去り、気がついたら受験当日を迎えていた。
受験当日、わたしはひどく緊張していた。不安と恐怖。
昔から、緊張に弱いわたしは、吐き気さえ感じていた。
「未来、いってらっしゃい。これ、持っていきなさい。大丈夫よ」
久しぶりに聞いたお母さんの声と、手に持たされた携帯カイロ。
反射的に込み上げた涙に気づかれないように、急いで家を出る。
「……いってきます」
何年かぶりの「いってきます」という自分の言葉に、涙が溢れた。
小さい時、緊張で不安な時は、いつもお母さんの手を握っていたのを思い出したのは、手に持たされた携帯カイロのせいだろう。
「大丈夫大丈夫、お母さんがいるじゃない」
そんなあったかくてふわふわな、おかあさんのコトバと手を思い出すと、不安が少しづつ消えていく。
「大丈夫。がんばろう。」
わたしは深呼吸をしてから、自分自身を励ますために、コトバ代を使った。
家族団欒
受験の結果は合格だった。合格発表当日は不思議と緊張しなかった。
合格の文字を見た時、嬉しい、安心の気持ちと一緒に思い浮かんだのは、お父さんとお母さんの顔だった。
自然と感謝の気持ちが込み上げてきた自分に、照れくささを感じながらも(今日ぐらいは、コトバ代を使って、お父さんとお母さんと話そう)と少し浮き足だつ。
リビングの扉を開けると、お母さんが不安そうな顔で出迎えてくれた。
「お疲れ様……どうだった……?」
わたしは黙ってピースサインで返事をした。
お母さんは笑顔で「おめでとう」と言った。
リビングには、豪華な食事とケーキが準備されていた。
「今日は三人で久しぶりに、お祝いしよう」
そう言ったお父さんに、わたしは
「わたしもそう思ってたの」と笑顔を向けた。
その夜、久しぶりに家族で語り合った。
受験のこと、学校のこと、友達のこと…。
話せば話すほど、胸が軽くなっていくのを感じた。
両親はわたしの話をただ黙って聞いてくれた。
批判も、アドバイスも、何もない。
ただ、わたしの言葉に耳を傾けてくれる。
その姿勢に、心が温かくなる。
「わたしさ、学校の先生になりたいの。」
将来の夢も、話したことがなかった。
何も聞かずに受験させてくれたことが不思議だったぐらいだ。
二人はにっこりと笑った。そしてお母さんが立ち上がり、封筒を持ってきた。
「これ、なに?開けていいの?」
「もちろんよ。開けてみて」
ゆっくりと封を開けると、中から手紙と通帳が出てきた。
“おおきくなったらガッコウのせんせいになりたいです”
わたしが小学生の時に書いたものだった。
「え、これ、なんで……?」
そして通帳には、信じられない額のお金が振り込まれていた。
定期的に振り込まれている預金。その振り込み名のすべてに、言葉がつけられていた。
<アサゴハンハチャントタベナサイ>
<ジュケンベンキョウガンバッテネ>
<タマニハオトウサントモハナシテクレヨー>
<ショウガッコウソツギョウオメデトウ>
<マイニチミライノハナシヲキクノガタノシミ>
<オタンジョウビオメデトウ>
そして、一番最初の振り込み日。わたしの誕生日には
<ウマレテキテクレテアリガトウ>
その言葉をみて、わたしは泣いた。
自然に涙が出てきて、小さい子どものように、顔がぐしゃぐしゃになったのがわかった。
「未来が生まれてからずっと、伝えたいコトバ分を貯金していた。未来の夢のために使ったらいい」
「未来にもいつか、お父さんとお母さんよりも大切な人ができるわ。伝えられる言葉は有限なの。だからこそ、ちゃんと伝えて欲しい。どんな形でもいい。そのためにお金が必要なら、遠慮なくこのお金を使いなさい」
涙でまともなコトバはでなかった。
うんうん。と頷きながら、わたしはお父さんとお母さんの愛情を溢れんばかり受け取った。
昔の人は、こんなにも温かい時間を過ごしていたのか。家族団欒。
なんて羨ましい時間なんだろう。
伝えたい言葉
卒業式当日、家を出る時に両親と向き合った。
これまでの日々が走馬灯のように駆け巡る。
幼い頃の楽しかった会話、思春期の気まずい沈黙、そして今、再びつながった絆。すべてが大切な思い出だ。
胸に込み上げる感情を、素直に言葉にする。
「お父さん、お母さん」
二人が優しく微笑む。その表情に、勇気をもらう。
価値のあるコトバ代の使い道を、わたしはもう知っている。
「ありがとう、それから、大好き」
ー第1話 終ー
この記事を書いたライター
Nishino
アパレル業界一筋15年。2人の子どもを育てる副業ライター。現在はシナリオライティングをメインに活動中です。おもしろいことが好き!おもしろい人が好き!そんな自分の「好き」を伝えられるライターになりたいです。いえ、なります。
夢は開業...