それは徹夜執筆前の仮眠中に始まった
筆者も以前、交通事故で救急車のお世話になりましたが、これはその時の画像
今回は身内の不幸ってことで、いつもの「合いの手が入る」形ではなく一人語りで進めていきますが、この2か月ほどはホントにドタバタでして…最低限の仕事しかできず、Mojiギルドを含むクライアントにはご迷惑をおかけしております。
始まりは8月15日の夕方でしたね…当時、筆者は8月6日にいきなり発熱、8日に新型コロナウイルスの陽性判定が出てしまい、11日までの隔離期間を経て、後遺症で鼻とノドがしんどいながらも、少しずつ仕事の調子を取り戻そうとしていたのですが。
その日も、7月末に取材した案件の記事に、やっと手を付けるぞ〜…その前にまだ少しダルいし、仮眠して徹夜で一気にやるか!と寝ていたんですが、いきなり電話が鳴って、番号はオフクロなのに男の声なんです。
「兵藤忠彦さんですか?こちらは仙台市消防局の救急隊員ですが、お父様が倒れて心肺停止状態でして、現在、仙台市立病院へ搬送中です」
…え?
親父が倒れて?心肺停止ってつまり、もう医者からの宣告待ちだけ、もうお迎え来ちゃってるってことで(※)…それで救急隊員がオフクロのスマホで電話してるってことは、オフクロも電話できる精神状態じゃないとか、そういう話?
(※日本だと法的に死亡宣告を出せるのは医師だけなので、実質亡くなっていても「心肺停止」と表現する)
いやとにかく病院へ急がねば…寝る前にビールとか飲まなくてよかった…じゃなくて、とにかく親父が急死してショック受けてるであろう、オフクロを助けにいかねば!
いやー、その時点で仕事がどうとか、締め切りがどうとか、考えてる余裕は全くなかったですね。
一応は看取った形?からお通夜、葬式、火葬へと駆け抜ける間の仕事
親父といえば思い出すのはこの型のトヨタ マークII(2代目)で兵藤家初のマイカー、親父が赤ん坊の筆者にハンドルを握らせてくれたのが人生最初の記憶だ
病院へ駆けつけると、オフクロは呆然として「お父さんがなかなか出てこなくて…」と、状況がよくわかってませんでしたが、ともかく医師からこれ以上の蘇生措置は無意味であるという一通りの説明を受けて、オフクロと2人で死亡宣告に立ち会います。
ウチの親父、82歳で13年前の大動脈解離が再発したことにより、永眠しました。
私も50歳、今までも「身近な人の死」には何度も接してきましたが、父親が亡くなり母親は茫然自失、たった1人の兄弟である姉は東京に住んでいてすぐ来られない、それ以前にまだ父の死を知らないとなると、つまり全ては私が動かないとダメってことです。
まずは姉夫婦にLINEで第一報を送り、親戚に電話しまくり、中でも一番葬式とか詳しそうな従兄弟に葬儀屋を紹介してもらい、近所に住んでる伯母にオフクロを任せて霊柩車と葬祭会館を手配して、親父の遺体を安置すると菩提寺にも連絡してお通夜と葬儀の日取り決め。
東京から駆けつけた姉、葬儀に詳しい従兄弟を交えてあーだこーだ忙しくしていたら葬式が終わり、火葬も済んで、気がつくと家路についてたわけですが、いつどこで何をやったかなんてほとんど覚えちゃおらず、故人をしのぶだの、悲しむヒマもありません。
唯一、印象に残っているのは、お通夜の晩に親父の遺影と向かい合って、タバコ吸ったことくらいですね…私と同じく親父も喫煙者、それもヘビースモーカーでしたから、アレコレ話すより2人でタバコ吸ってるのが最高の「会話」…もう親父は話せませんけどね。
しかしその数日、仕事はどうしていたかというと…親父が亡くなった翌日、16日の早朝にMojiギルド含むクライアントへ連絡を入れまして、事情の説明と「仕事の進行はスローペース、大掛かりなものは締め切りを延ばしてほしい」というお願いです。
親父が亡くなって悲しいやら忙しいやらと言っても、それは「こちらの都合」ですから、キチンと筋は通さないといけませんし、放置できない仕事はやらなければなりません。
私の場合ですと、執筆案件なんかは「締め切りを延ばしてほしい」で各クライアントに承諾していただけましたが、電気自動車メディア「カースモーラ」編集部から委託されている、電気自動車のデータベースメンテナンス案件だけは、日々欠かせないんです。
お盆真っ最中から盆明けということで、国内メーカーや海外メーカーの日本法人も動きが鈍いとはいえ、いきなり新型車が発売されないとも限りませんし、親父が亡くなった日を含めて毎晩、実家から自宅へ戻ってSNSなどで最新情報のチェックだけはしてました。
仕事は再開したけれど…遺族代表は右往左往
2011年12月に大動脈解離で生死の境をさまようも、2024年までよく生きたものだ…これは当時、アニマルセラピー的に連れてこられた姉夫婦の愛犬、「くぅ」
しかし業務用チャット(ChatworkやSlack)で当時の記録を見てみると、1本だけ「8月16日午前中締め切り」という案件があって、16日の早朝に入稿してましたね。
たぶん親父が亡くなった日の晩、最終の新幹線に間に合った姉が東京から来てくれたんでオフクロを任せ、実家から急いで帰宅して徹夜でSNSチェックと、1本だけ原稿書いたんでしょうね…1時間もあれば書ける原稿でしたが、よくやったものです。
それを除けば、初七日を迎える8月20日前後に仕事を本格始動させたようですが、一家の長が往生を迎えたとなると、葬式して火葬すればハイ終わりとはいきません。
役所への死亡届や火葬許可書の手続きこそ葬儀屋が代行してくれましたが、他にも年金を止めないと不正受給になりますし、オフクロが遺族年金を早く受け取れるようにと年金事務所へ、国民健康保険などの手続きで区役所へと右往左往です。
他にはオフクロの生活費を確保するため、故人の口座を凍結される前に銀行から預金を引き出すんですが、今は詐欺対策で一日に引き出せる上限額も厳しいので、当面の生活に困らないだけ引き出せるまで毎日通いました。
菩提寺からは「初めてのことだから、御位牌に魂を入れる開眼供養が四十九日に間に合わなくても大丈夫」と言われましたが、いつまでも仮祭壇じゃ親父も困るよねと仏壇と御本尊(菩提寺が真言宗なので大日如来)、御位牌を買うのに仏具屋巡り。
遺産相続で申告漏れによる追徴課税なぞあってはたまりませんが、何しろ親父は急死したものですから「終活」なぞほとんどしておらず、オフクロの記憶を頼りに遺産の整理でアレやコレやと書類を探しといった具合で、サッパリ落ち着きません。
私が全てやったわけではなく、東京から駆けつけた姉にもだいぶ助けてもらいましたし、国や自治体がさまざまな改革、特に電子化を進めていたおかげで、役所での手続きもだいぶ簡略化されてスピードアップしていたものの、昔はもっと大変だったのでしょう。
10月13日には菩提寺のご住職を呼んで、実家に届いた仏壇と御位牌の「開眼供養」(魂入れ)をしてもらって一段落となりましたが、そこに至るまで、特に最低限の案件しかできなかったカースモーラ編集部の皆様には、大変ご迷惑をおかけしました。
相続関係で、まだまだ先は長い
仏壇と御位牌の開眼供養が終わったとはいえ、まだこれから墓石を買って納骨もしないといけませんし、相続関係の手続きも、まだまだこれからが本番です。
既に、母方の実家が世話になっている税理士事務所で相続手続きを初めていますが、そのためには数種類ある戸籍謄本などを役所で揃え、司法書士事務所で「法定相続一覧図」を作ってもらい、他にもいろいろと資産に関わる書類が必要(私事なので全部は書けませんが)。
税理士事務所の説明によれば、相続税の申告こそ亡くなった翌日から10か月以内(この場合は2025年6月15日まで)ではあるものの、4か月以内(12月15日まで)に、亡くなった日までの所得(親父の場合は年金)などを計算して「準確定申告」をせねばなりません。
この準確定申告までがドタバタですが、年が明ければ自分の確定申告、そうでなくとも日々の仕事に、私は独身のフリーランスですから、自分の経理に家事に、親父と同じ82歳と高齢な母親の様子も見ながらと、気が休まるヒマは当面なさそうです。
相続といえば、親父の資産を整理している中で、「そういえばお父さん、私たちに結構下りる保険をかけてたのよね」とオフクロが思い出し、手続きしたら死亡保険金が私にも…下りたのはいいんですが、相続税がかかります。
最初は通帳見てちょっと喜んだものの、考えてみると全員の総額は「法定相続人の人数×500万円」という、相続税の免税額を少々超えていますし、「もしかして個人事業主としてはかなりヤバイ、降ってわいたような収入」になるのでは?と、大いに慌てました。
実際はあくまで死亡保険金でも「相続」なので所得税はかからないらしいのですが、それでも相続税でいくら取られるのかわかるまでは、安心などできません。
安定した収入があって有給休暇も使えるサラリーマンならともかく、フリーランスのライターなど、とにかく羽をバタバタさせて飛んでいないと落ちる鳥みたいなものですから、身の程を超えるような遺産をもらうより、安心して働ける方がいいな…と思います。
私と同じくフリーランスでライターを本業としている皆さん、仕事に穴を開けて謝りまくるハメになりますし、生活にも大きな影響が出るので、肉親の急逝に限らず「万が一」を真剣に考えておきましょう!
こうして親父が急に亡くなってからバタバタした2か月ちょっとを振り返ると、「昨日と変わらない今日が来て、明日もたぶん変わらない毎日」のありがたみが、本当によくわかるんです。
もっとも私も含め、皆さんは「変わらない毎日」よりも大事なものがあると今の道を選んだと思いますから、結局は覚悟があるかどうかの問題かもしれません。
最後に親父殿、今回はいろいろと学ばせていただいておりますが、「人生の最後を賭けてたくさん勉強させてくれて、ありがとう!」と言えるのはまだまだ先で、そこまで仕事も実家もがんばって引き受けますから、安らかに眠ってください。合掌。
この記事を書いたライター
兵藤忠彦
失われた10年?30年?まあボチボチ気楽に生きましょうや!という1974年生まれの専業ライター。自動車関連が専門の中では珍しいダイハツ派で、過去に全日本ジムカーナへスポット参戦時はストーリアX4やリーザTR-ZZ、現在もソニカRSリミテッドが愛...