使わないようにしている言葉

使わないようにしている言葉

ここからは、私が普段の会話やライティングなど、自分が発する言葉の中で使わないようにしている言葉を紹介していきます。

あくまでも私が使わないというだけであり、表現そのものが悪い意味を持っている、誤用であるというわけではないので、くれぐれもご留意ください。

「(国名)人」

まったくもって悪い言葉ではないのですが、私は意識的に「日本人」「中国人」「アメリカ人」といったように、「(国名)人」という表現を使わないようにしています。

その代わりに「日本の人」「日本の方」のように表現することが多いです。

文字にするとやや冗長なので、書き言葉ではやむをえず「日本人」のように表現せざるを得ない場合もありますが、口語では基本的に使用していません。

これには、私のバックグラウンドが深く関わっています。

私の話を始める前に、そもそも「〜人」という言葉の定義を確認してみましょう。ここでは、一旦「日本人」という語について解説していきます。

コトバンクによると、「日本人」は以下のように説明されています。


① 日本国の人。にっぽんじん。

※宇治拾遺(1221頃)一二「国守にかうかうのことをこそ、此日本人申せ、といひければ」 〔ロドリゲス日本大文典(1604‐08)〕

② 日本の国籍をもつ人。現行の国籍法では「日本国民」という。

※国籍法(明治三二年)(1899)一条「子は出生の時其父が日本人なるときは日本人とす」


引用:日本人(にほんじん)とは? 意味や使い方 - コトバンク


①の「日本国の人」という定義はやや曖昧なので、多くの人が②の「日本の国籍をもつ人」という意味で「日本人」と表現することが多いのではないでしょうか

私のバックグラウンドの話に戻りましょう。

私は、東京生まれ東京育ち、東京以外の場所に住んだことがありません。

しかし、母は香港の人で、父が台湾と日本のミックスです。そして、私の国籍は中国籍。

先にお伝えしたように、生まれてから今までずっと日本で生活しているため、母国語は日本語。ものの考え方などもおそらく日本の人らしい特性を持っており、現状不自由がないので帰化していませんが、私自身も自分を日本人だと考えています

ただ、先の定義のように「国籍」を基準に分類するとなると、私は「中国人」ということになります。

しかし、私のことを中国人だと考える人は少ないでしょう。

多くの方は自分のナショナリティについてあまり意識することはないかもしれませんが、私はこういったバックグラウンドゆえに、「(国名)人」という言葉に違和感があるため、あまり使っていません

ちなみに、日本では初対面の方に「どこの出身ですか?」と世間話がてら聞くことがありますが、同じニュアンスの「Where are you from?」は、アメリカでは失礼な質問とされています

これは、アメリカには多様な人種や民族が集まっており、人種を問わず「アメリカ出身」の場合があるからです。つまり、私のようにナショナリティが複雑な方が多いということです。

このように、出身地と国籍が異なっていたり、自分が認識している自己の民族は一意に定められないこともあるため、少し広い意味を持たせるニュアンスを込めて「(国名)“の”人」と表現しています。

ただし、結局のところ実際の言葉の意味はあまり変わらないかもしれないので、これはあくまでも私の感覚でこだわっている部分と捉えていただけましたら幸いです

「親」「両親」

親には、「子を生んだ人」や「父と母の総称」などの意味があり、両親も同様に「父と母の総称」という意味を持ちます。

つまり、親または両親という言葉を使う時、それは「父」と「母」の両者を指すと私は受け取っています。それがたまらなく嫌なんです。だから私は基本的にこの言葉を使いません。

この世界には多様な家族の在り方があります

シングルマザー、シングルファザー、はたまた叔父や叔母などの二親等かそれ以上の親類、もしくはまったくの血縁関係ではない誰かが何らかの事情で親代わりをしている家庭もあるでしょう。

こういった家庭を無意識のうちに排除してしまうニュアンスが含まれるのが嫌なので、基本的に「保護者」や「お家の方」という表現を使うようにしています

例えば、迷子の子どもがいたら、「親御さんはどこ?」「パパとママは?」と聞くのではなく、「誰と来たの?」「一緒に来た大人はどこ?」「お家の人は?」というように声をかけるでしょう。

ちなみに、少し余談にはなりますが、以前母とショッピングモールに行った時に、抽選会に参加したことがありました。その際に、スタッフの方から「母娘でお出かけいいですね。今日はお父さんはお留守番ですか?」と聞かれ、母と二人で「そうなんですよ〜(笑)」と答えたことが今でも頭に残っています。

私の父はすでに亡くなっています。そのため、この質問に傷つき、悲しい思いをしたので、もう顔も覚えていない方との些細な会話だったにもかかわらず、母も私もよく覚えているんです。

スタッフの方に悪気がないことは重々わかってはいるものの、だからといって一度抱いたモヤモヤは簡単には消すことができません

この出来事が「親」「両親」という言葉を使わなくなったきっかけではないものの、これ以降こういった思いを誰にもしてほしくないという気持ちが強くなった気がしています。そのため、「親」「両親」という表現、そしてそれ以外にも家族の形を断定するような表現は避けています。

「女子力」「男らしい」などの特定の価値観を押し付ける表現

合コンでサラダを取り分ける女性に対する賞賛として、「うわ〜!○○さん女子力高い!」といった表現が使われることがありますよね。

…とまぁこれはステレオタイプすぎる例えですが(笑)。

例えば、

  • ハンカチを持っている
  • 料理が上手
  • 気遣いができる


というような表現は、女性を褒める意味で使われることが多いでしょう。逆に「お前女子力ないな!」と、特定のことができない女性を批判する意味で使われることもあります

他にも「男らしい」のような、「〜らしい」という言葉。「学生らしい」「母親らしい」というように、一般的に特定の役割や属性が入ります。

こういった、特定の価値観を押し付けるような表現は、例え「相手を褒める意図」であっても使わないようにしています。これらの表現は時として、発信者は相手を褒めようとしているにも関わらず、受け手が不快な気分になることもあるので注意が必要です。

なぜなら、発信者側に特定の役割や属性に対するステレオタイプな考えがあり、それを元に、その価値観と一致していることを評価しているためです。

「女性らしい」の定義は人によって異なるでしょう。また、そもそも「女性らしく見て欲しくない」という人もいるかもしれません。

固定の価値観を特定の存在に付与してしまうことになるので、不用意に誰かを傷つけないためにも、基本的には使用しないのがベターでしょう。

私は、相手を褒めたい時には、行動や結果に言及するよう意識しています。

  • 「サラダを取り分けてくれるなんて、○○さん女子力高い!」→「お皿が遠かったから、サラダを取り分けてくれて助かる!ありがとう!」
  • 「こんな重い荷物軽々運べちゃうなんて、さすが男の子だね」→「自分一人だと重くて運べないから手伝ってもらえて助かったよ」
  • 「最近、先輩らしくて威厳があっていいね」→「マネジメントする立場になってから、後輩のお手本となるような行動が意識できていて素晴らしいね」


このように、具体的な面にフォーカスすることで、相手も何を褒められたのかがわかりやすく、より喜んでもらえるでしょう。また、ビジネスシーンであれば、特定の行動や結果に再現性を持たせることにもつながります。

「〜のに」

「〜のに」は、活用語の連体形に付いて、内容的に対立する二つの事柄を、意外・不服の気持ちを込めてつなげる接続助詞です。

例えば、

  • 「あの子は可愛いのに、彼氏がいない」
  • 「あの人は芸能人なのに、周りの方に優しい」
  • 妊婦なのに、妊娠前と変わらず働けていてすごい」


というように使われます。普段から結構使っているという方、多いんじゃないでしょうか。

決して悪い言葉ではありません。意外性を持たせるために、特にWeb記事のタイトルや見出しに使われることが多いですが、私はむやみやたらに使用しないようにしています。

その理由が、「〜のに」の部分に、無意識のうちに偏見や思い込みが含まれていることがほとんどだからです。

例えば、「あの人は芸能人なのに、周りの方に優しい」と言う時、「芸能人は基本的には優しくない」という前提が「〜のに」に含まれています。しかし、この前提は人によって異なることもあるでしょう。

また、往々にして失礼なニュアンスを含んでいます。

例外として、

  • 忙しいのに、ありがとう」
  • 「こっちは晴れなのに、大阪は雨なんだね」
  • 「こんなに寒いのに、子どもは元気だね」


というように、「〜のに」にマイナスな意味を含まない場合や、相手を立てられるような場合には使用することもあります。

「まずい」「つまらない」などの主観的なマイナス表現

「まずい」「つまらない」など、マイナスな意味表現もできるだけ使わないようにしています。

なぜなら、基本的に何かに対して良くないと思う時、それはそのもの自体が劣っているというわけではなく、単に「自分に合わなかった」ということがほとんどだからです。

自分が「つまらない」と感じる映画も、誰かにとっては名作かもしれません。ミシュラン五つ星シェフの料理であっても、自分の口に合わなければ「まずい」と感じるかもしれません

あくまでもこういった感想は「主観的」なので、そのもの自体に評価を下すのではなく、「私には合わなかった」と表現するようにしています

「普通」

最後に、シンプルな言葉ですが「普通」という表現も極力使用を避けています。この世界に「普通」などないからです

辞書的には、「通常であること」、「広く一般に通じること」と定義されていますが、そもそも「通常」や「広く一般に通じる」という定義はかなり曖昧です。誰にとっての「通常」なのか、どういった基準を超えていれば「広く」なのか。

特に、多様性が重んじられる現代において「普通」の定義は人によって大きく異なります

  • 「普通こっちを選ぶことが多いですよ」
  • 「普通の人ならそうはしないって」
  • 「普通こうならない?」


例え、100人中99人が特定の行動を取ったとしても、それを「普通」と呼ぶのは傲慢かもしれません。そもそも「普通」という言葉を使う時、「普通」を定義する必要がない場合がほとんどでしょう。

根本的に、自分の当たり前と人の当たり前は違うと思っているので、私の口からは出てこない言葉です。

心の中にいつも「ぺこぱ」を

心の中にいつも「ぺこぱ」を

最後に、お笑い芸人の「ぺこぱ」の話を出して、この記事を締めたいと思います。

「心の中に(人物名)を飼うとイライラしなくなる」とネットでちょくちょく言われているのを聞いたことはありますか?

私が私の中に住まわせているのがぺこぱです。デヴィ夫人やkemioさん、叶姉妹などを心に宿している方もいるそうです(笑)。

私は、基本的に物事は常に表裏一体だと考えています。そのため、どんなことでも一つの面から捉えるのではなく、さまざまな角度から検討するように意識しています。

そんな私が好きなお笑い芸人さんが、ぺこぱです。お笑いにすごく詳しいというわけではないのですが、ぺこぱだけは、お茶の間で有名になり始めた頃から応援しています。

その理由が、物事を多面的に捉える「多様性を受け入れるスタンス」にあります。

本来「ツッコミ」の立場である松陰寺さんが、基本的にツッコむことなく、相方のシュウペイさんの破天荒な行動を受け入れる、というのがぺこぱのコントの定番の流れです。

例えば、「美容師」というコントでは、シュウペイさんが美容師、松陰寺さんがお客さんを演じるのですが、松陰寺さんの来店と共に「いらっしゃいませ。後ろこんな感じでよろしいですか?」とシュウペイさんがボケをかまします。

従来のお笑いであればここで、「いや、今来たばっかりだろ!まだ切ってないわ!」といった具合にツッコミが入るのでしょう。しかし、松陰寺さんは、「いや、まだ切ってねえ状態の髪の毛も見ておくべきだ。だいぶ伸びたなぁ」と返答します。

これがぺこぱをぺこぱたらしめているお決まりのやりとりです。

松陰寺さんは、シュウペイさんの一見すると摩訶不思議な行動を一切否定することなく、必ずプラスな面に焦点を当てて打ち返します。これは、多様性を大事にする今の時代にとても大事なスタンスだと思います。

(あくまでもこれはコントなのでそんな意図はないかと思いますが)もしかしたらシュウペイさん演じる美容師は、ビフォーの状態を見てもらうことで、どのような髪型にするかを検討する材料にして欲しかったのかもしれません。

このように、相手の行動を無碍にすることなく、「こうも考えられるかもしれない」という態度を持つことは、自分と異なる相手と円滑にコミュニケーションを取るためにも大変重要です。

今回の記事のテーマである、「私が選ばない言葉」を一言で表すと「多様な考えを否定する言葉」となります。

その考えの根源にあるのが、「物事の多様性」を重んじる私のスタンスだったため、最後にこんな話をさせていただきました。

私は基本的に、「この世に不必要な物や悪いものはない」と考えているので、嫌いなものや人がかなり少ないです。どんなことにも必ず良い面と悪い面があるので、良い面にスポットを当てるようにして言葉を紡いでいます。

例えば、「飽きっぽい」という性格は一般的に悪い意味で使われることが多いですが、「興味の幅が広い」と捉えることもできます。

逆に、「一つのことに継続的に打ち込める」という特性は社会的に評価されることが多いですが、見方によっては「視野が狭い」とマイナスにも取れるでしょう。

そして、この世界は「飽きっぽい人」だけでも「一つのことに継続的に打ち込める人」だけでも成立しません。両者がバランス良く存在するからこそ、イノベーションが起きたり、技術が発達したりと相互に良い影響を与えられます

このように、一つのことを複数の観点から評価することは、自分の精神衛生的にもいい影響を与えるだけでなく、さまざまなシチュエーションでプラスに働くのでぜひ意識してみてください。

この記事を書いたライター

執筆者

Haruka Matsunaga

おしゃべりが止まらない5か国語話者ライター。二次元にも三次元にも推しがとにかく多すぎるオタク。素敵なものや自分の好きなものをとにかくたくさんの人に広めたいという気持ちが執筆のモチベーションです。ペンは剣より強し、言葉の力を信じて...

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