それは、完璧な演技のため
「久しぶり~ドラマ、すっごい評判いいじゃん。俺も見てるけど、面白いよ~」
カランコロンと心地よいドアベルの音を響かせながら店内に入ってきたしずるは、入口すぐ近くの席に座っている勝利の姿を見つけるやいなや、挨拶もそこそこにドラマの感想を語り始めた。
しずるとは2か月ぶりの再会。場所はもちろんシャンティだ。
前回会ったときはうだるような暑さだったのに、今は空が高くなり、朝晩はアウターがないと寒さを覚えるようになった。
夏のさなかには、暑さにほとほとうんざりしているのに、いざ夏が終わると寂しさを感じるのはなぜなんだろう。
特に勝利にとってこの夏は、初の主演ドラマ撮影という特別な出来事があったため、忘れられないものとなった。
デニムのシャツにチノパンというスタイルのしずるは、急いできたのだろう、おでこが少し汗ばんでいた。
「はじめての恋愛ドラマ、はじめてのBLとは思えないくらい、勝利、すっごくいい演技するね。明見久遠は言わずもがな。ふたりが奇妙な同棲生活を送りながらだんだんとお互いがかけがえのない存在になっていく課程が丁寧に描かれているね。ほんといいドラマ。俺も出演したかったなぁ」
そういってしずるは婦人が運んできた水を一気飲みし、アイスコーヒーをオーダーした。
「あと2~3回撮ればクランクアップだよ。長かったような短かったような、不思議な気持ち」
クリームソーダの上に浮かんでいるアイスクリームを崩し、ソーダ水に溶かしながら勝利は言った。白のシャツにジーンズという出で立ちで、こちらも少し暑さを感じていたのか、シャツの袖をまくっている。
「どう?明見久遠は。ちょっと距離が近づいた感じ?」
しずくからの質問に、勝利の顔がほころぶ。
その表情の変化を怪訝そうに見つめるしずくに、勝利は撮影の日々を思い出し、かみしめる様に語り始めた。
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ラーメン屋でラーメンをすすり、お腹いっぱいになったタツキは、警察に行くのがどうしようもなく面倒くさくなってしまった。そこでタツキは
「ねぇ、ムジカさん。よかったら今日、俺んちに泊まる?警察はまたさ、改めて行くことにしようよ」
とムジカに提案した。
ムジカは
「わかりました」
とにっこり微笑んだ。こうして2人は、タツキの暮らす1DKのマンションへと帰っていったのだった。
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タツキの部屋のシーンは、スタジオにセットが組まれ、そこで撮影される。初めてのシーンは、ムジカがタツキの部屋にやってきた夜の場面だ。
台本ではタツキがベッドの横に客用の布団セットを敷き、そこにムジカを寝かせることになっていた。リハーサルでも確かに明見はそう演技した。しかし本番になると、明見はいきなり勝利が横になっているベッドに入ってきたのだ。
「えぇ~!!!」と思わず飛び起きる勝利。しかし明見はにっこり笑って
「ここのほうが、眠りやすいです」
と言うのだった。
『そうだ、明見久遠じゃない。ムジカなんだ』
勝利も気を取り直し、演技を続けた。
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「もう。一緒にベッドで寝てもいいけど、襲ってこないでくださいよ。こう見えても俺、小学校の時空手やってたんだからね。てか、なんで貸したパジャマに着替えないの?」
とタツキはムジカに話すが返事がない。ムジカの顔を覗き込むと、ぐっすり眠っている。
「なんなんだろ、この警戒心のなさ。俺が善良な一般人だから良かったようなものの」
タツキはそうつぶやくと、ベッドの隅の方に再び横たわった。いまだアルコールの抜けていない頭で
『明日、警察に行かないとな…。てか、ほんとに記憶喪失なのかな。朝起きたら貴重品全部盗まれてた、ってことないよな』
などと色々考えを巡らせているうちに、いつのまにか眠ってしまった。
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タツキの部屋での撮影が終わり、カメラチェックも完了したところで、大木監督から休憩の声がかかった。
仮眠を取ろうと控室に向かう勝利の背後から、誰かが
「宮田くん」
と声をかけてきた。振り返ってみると、そこに立っているのは、明見久遠だ。
「あ、明見さん…。すいません、俺、なんか演技まずかったですか?」
まさか明見の方から声をかけられると思っていなかったため、驚きと萎縮で怯えたような顔をする勝利に、明見は「大丈夫だから」と顔の前で手を振った。
「違うんだよ。違うの。ちょっと、戸惑わせてるな、と思って。俺の方こそ謝罪したくて声かけた」
「え?何がですか…?」
「アドリブ、多いでしょ、俺。いつもはそんなことないんだけどね。ちょっとコーヒーでも飲もうか」
「あ、はい…」
自販機のもとへと歩いていく明見の後ろをついていきながら、勝利は口から心臓が飛び出しそうになっていた。
それは、明見に話しかけられた嬉しさと戸惑い、そしてほんの少し、なぜだかわからない不安のせいだ。
「ブラックでいい?」
自販機の前で明見は勝利にそう尋ねた後、ホットコーヒーを2本買い、傍らに設置されている椅子に腰を下ろした。
勝利もおずおずと隣の椅子に腰を下ろす。ずっとここにいたいような、今すぐ逃げ出したいような、不思議な気持ちだ。
「アドリブ多くて悪いな、って思ってるんだけどね」
明見が話し始める。
「でも、演技してて、タツキの側にいると、ムジカはこういう行動に出るだろうな、って思うんだよね」
「…はい」
明見が勝利の目を見る。そこに拒絶の色はない。
包み込むような穏やかで優しい眼差しだ。
「俺、もう、明見じゃなくてムジカだからさ。だから、ムジカの気持ちがわかるの。ムジカのしたいこともわかる。大木監督にも半ば呆れながら『君の好きな演技をしたらいいよ』って言われたんだよね」
そういってほほ笑む。
それは、前にテレビで見た「BE ON」時代の甘いほほ笑みとまったく変わっていなかった。
「明見さん、あの、今回のドラマ、明見さんが俺を指名してくださったと聞きました」
明見の甘いほほ笑みに、勝利は自分を受け入れてもらえたような気がして、思い切って尋ねてみた。
「どうして俺を指名してくれたんですか?全然面識もないのに…」
明見は視線を勝利から手に持った缶コーヒーへと移した。
「それはね」
「はい」
「宮田くんが相手なら、俺は完璧なムジカになれると思ったの」
それはどういう意味ですか?と聞こうと口を開く勝利を、叶の大声がさえぎった。
「勝利!そこにいたの!!正司さんが探してるわよ!次のシーンの前にちょっと意識合わせをしたいところがあるんだって!」
「行ってあげて」
と明見がささやく。
「はい。あの、コーヒーごちそうさまでした」
勝利は軽く頭を下げると、叶のもとにかけていった。
「あら、明見久遠じゃない。ふたりで話してたの?」
のんきに呟く叶に、なぜだか少しイライラして、つい勝利は意地悪を言ってしまった。
「麗さんさぁ、ちょっと空気読めないとか言われたことない?」
「は?何言ってるの?失礼極まりないんだけど。敏腕マネージャーの私は、空気を読むことに人一倍長けているのが自慢です」
「…ふ~ん」
じゃあ、空気を読んでもう少し後で来てほしかったな。勝利は心の中で呟く。
せっかく明見久遠とじっくり話せるチャンスだったのに。
本当は明見に聞きたいことがもっとたくさんあった。
ー完璧なムジカになれるってどういう意味?
ー俺のどこを見てそう思ったの?
ー顔合わせの時、塩対応だった理由は?
正司のもとに向かいながら、勝利は今度チャンスがあったら聞いてみたい質問をあれこれ考えてみた。
ーこれから、もっと仲良くなれるチャンスはありますか?
この記事を書いたライター
大中千景
兵庫県生まれ広島在住のママライター。Webライター歴8年、思春期こじらせ歴○十年。SEOからインタビューまで何でも書きます・引き受けます。「読んで良かった」記事を書くべく、今日もひたすら精進です。人生の三種の神器は本とお酒とタイドラマ。