健太
学校に向かうために玄関を出ると、僕は隣の空き地に向かって、小さな声で呟いた。
「おはよう、おばあちゃん」
チエおばあちゃんが旅立ってから1年。
僕は10歳になった。おばあちゃんと過ごした時間は、今でも大切な思い出だ。
「健太、本当にありがとう。あなたのおかげで、私は本当に幸せな時間を過ごせたわ。健太もいつか、この言葉のバトンを、大切な人に渡してちょうだい」
おばあちゃんが伝えてくれた言葉を、僕は大切に心の中にしまっている。
言葉の授業
学校に着くと、教室では未来先生が笑顔で生徒たちを迎えてくれる。
「おはようございます。みんな、今日も素敵な1日にしましょう」
未来先生の優しい声に、教室全体が明るくなったような気がした。
未来先生は、言葉を大切に使うことについて、いつもたくさんのことを教えてくれる。
今日の授業は、昭和の言葉について。
授業が始まり、未来先生は「言葉を自由に使えたら、世の中は良くなると思うか?」と聞いた。
みんな次々に「自由がいい!」「無限がいい!」と答えている。
僕も自由に言葉が使える世界を、想像してみる。
おはよう・おやすみ・ありがとう・ごめんなさい・大好きだよ・悲しかったよ
…言葉を無限に使えたとしても、僕が口にしたい言葉は、大きく変わらないように感じた。
(言葉が自由になると、良くなること…)
未来先生が、考え込んでいる僕に気づいて声をかけてくれたが、考えはまとまらなかった。
(おばあちゃんなら、なんて言うだろう)
そんなことを考えながら、ボーッと窓の外を見ると、鳥が一羽飛んでいった。
コトバと言葉
給食の時間、相馬くんが泣いている。
お弁当を忘れてしまったらしい。
僕は、ママ特製唐揚げとおにぎりをあげた。
相馬くんが笑顔になってくれると思ったのに、相馬くんは泣きそうな顔で「健太、ごめんな…」と言った。
その時、僕は少し驚いた。
(相馬くんはとっても優しい子なんだ。僕に申し訳ないって思ってるんだな。じゃあ…)
「相馬くん、ありがとうでいいんだよ!ごめんねのバトンがつながっても、嬉しくないでしょう?」
僕は続けて言った。
「ありがとうのバトン、つなげてね!」
相馬くんは不思議そうな顔をして「…ありがとう」と言った。
帰り道、スーパーでお母さんと買い物をしていると、前に並んでいたおばさんが店員さんに怒っていた。
「こんなに待たせて、何やってるの!こっちは急いでるのよ!無駄な言葉を使わせないでちょうだい!」
僕は黙って店員さんを見つめた。
店員さんは謝りながら、一生懸命レジを打っている。
(店員さんが受け取るバトンを、優しい言葉に変えてあげたいな…あ!そうだ!)
レジを終えると、僕は「ありがとうございました」と言った。
店員さんは少し驚いたような顔をしたけど、にっこり笑ってくれた。
相馬くんから受け取っていたありがとうのバトンを、店員さんに渡せてよかった。
すると、後ろにいたおばあさんも、「ありがとう」と言っているのが聞こえた。
僕が思わず振り返ると、おばあさんが僕の方をみてにっこり笑った。
僕のありがとうバトンが、おばあさんにも渡っていたらしい。
(そっか…バトンを渡せる人って、1人じゃないんだ…!)
新しい発見に、僕は嬉しくなった。
次の日公園で遊んでいると、小さな女の子が転んで泣いていた。
僕は近づいて、そっと手を差し伸べた。
涙目で僕を見上げた女の子に「大丈夫、大丈夫」と声をかけた。
女の子も少しずつ笑顔を取り戻す。
お母さんがいつも僕にくれるバトンだ。
お母さんに「大丈夫」と言われると、僕はすごく安心する。
(大丈夫のバトンが、この子に渡せますように)
すると、そこに女の子のお母さんが駆けつけてきた。
「大丈夫?怪我したの?」
「このお兄ちゃんが大丈夫だよっていってくれたらなおった!」
ニコニコの女の子を抱きしめながら、その子のお母さんは僕に向かって言った。
「ありがとう。優しい子だね」
その言葉を聞いて、僕は温かい気持ちになった。
家に帰ると、美味しそうなハンバーグの匂いがする。
「手を洗ったら、ご飯にしましょう」
僕はママのご飯が大好きだ。
食べるだけで温かい気持ちになる。
特に大好きなのがハンバーグ!
「いただきます!」
大好きなチーズがのった、まあるいハンバーグ。
僕の大好物だと知って、ママはよくハンバーグを作ってくれる。
さっき公園で受け取ったバトンのせいか、今日は特に美味しい。
「ママのハンバーグは、優しい味がするよねぇ」
美味しさを噛み締めながらそう言うと、ママとパパは目を丸くした。
「優しい味ってどんな味だ?」
…パパにはわからないのだろうか。
「ママが、僕が喜ぶようにって作ってくれたのがわかるでしょ?それが優しい味!」
「そうか。ママは健太のことが大好きだもんなぁ」
パパがそう言うと、「あら、パパのことも大好きよ?」と笑って言った。
「ママの気持ちが伝わってて、とっても嬉しいわ」
ハンバーグにママの優しさが込められていることも、全員が幸せな時間だと思っていることも、言葉にしなくても伝わる。
『言葉』がそこにはある。
(そっかぁ。言葉にしなくても伝わる言葉もあるんだなぁ)
今日はたくさんの発見があった。
僕のなかで、少しずつ『言葉を大切に使う』という意味が、形になってきた。
バトン
数日後、言葉を大切に使うことについての発表会の日。
未来先生の提案で、1人ずつ前に出て発表することになった。
「私は、人を喜ばせる言葉こそが大切に言葉を使うことだと思いました。言葉が無限になったら、人を喜ばせる言葉でいっぱいになると思います。」
「俺はやっぱり、なるべく環境を汚さないように、言葉は有限でいいと思いました。言葉だけではなく、俺たちが住むこの星も、大切だからです」
みんなが各々の言葉で、それぞれの考えを発表していく。
(みんなすごいなぁ。色んな考え方があって素敵だなぁ)
僕は少し緊張しながら、順番を待った。
「じゃあ次は、健太くん。お願いします」
未来先生がまっすぐ僕のことを見た。
少し深呼吸をしてから、僕はゆっくり話し出す。
「僕は、言葉はバトンだということを、大切な人に教えてもらいました」
チエおばあちゃんの言葉を思い出す。
「今僕たちが生きている世界では、言葉は有限です。だからこそ、大切にバトンを渡す必要があると思いました」
僕は、自分が経験したことを話した。
おばあちゃんとの思い出、スーパーでの出来事。
「素敵なバトンを渡そうとすれば、素敵な言葉を渡す必要がある。でも、それだけじゃなかった」
未来先生が少し不思議そうな顔をしたのが、わかった。
「言葉を大切に使うってことは、素敵な言葉を受け取るということも、大切なんだと思います」
人から言われた嬉しい言葉を、次の人に渡す。それだけじゃない。
例え言葉になっていなくても、そこに込められた言葉に気がつくことで、受け取るバトンはもっともっとたくさんになる。
受け取る言葉は、自分で探すこともできるし、選ぶこともできる。
受け取る言葉が増えれば、もっともっとたくさんの言葉のバトンを渡すことができる。
パパとママを見ていて、そんなふうに感じた。
いつも優しく見守ってくれていること、いつも僕が喜ぶようにといろんなことを考えてくれていること。
それを僕が受け取って初めて、言葉のバトンになるんだ。
「だから僕は、大事なのは言葉が有限か無限かではないのかなと思います。使う時も受け取る時も、言葉のバトンに託された想いを、次の人にちゃんとつないでいくことが大切なのかなと思いました。
それが、僕の思う『言葉を大切につかうこと』です」
発表が終わると、少しドキドキが消えた。
友人たちの拍手が、少し照れ臭く感じる。
未来先生は、さっき少し泣いているように見えたけど、すぐに笑っていたので安心した。
(チエおばあちゃん、僕の発表聞いてたかなー?)
窓の外を見るとつがいの鳥が、仲良く止まっていた。
未来からのバトン
健太くんの発表を聞いて、学生のころの自分を思い出した。
あの時、両親が渡してくれたバトン、その気持ちを私が受け取ることができたから、今、私はここにいる。
どうしたら、子どもたちに言葉の大切さを教えることができるのか、正解や答えを探さなければと思っていたけど、違った。
私が両親から受け取ったバトンを渡し続ければ、子供たちは自分で考え、自分で答えを見つけ出せるんだ。
子どもの可能性も、言葉と同じで無限大。
健太くんの発表を聞いて、私もバトンを渡せたのだと、嬉しくなった。
これからも言葉のもたらす問題は、なくならないと思う。
無限であろうと有限だろうと、これからも私たちは色々な問題と向き合っていくんだろう。
私は教師として、未来へのバトンをつないでいく。ただそれだけなんだ。
(お父さん、お母さん、私にたくさんの言葉をくれてありがとう)
ありがとう、おやすみ
窓から隣の空き地を眺めると、おばあちゃんの笑顔が見えた気がした。
「ありがとう、おばあちゃん。僕、大人になっても言葉の大切さを忘れないよ。これからもたくさんバトンをつなぐね」
これからも、おばあちゃんから教わった言葉の大切さを、たくさんの人に伝えたい。
そうすれば、きっと世界はよくなる。
世界中が優しい言葉で満ち溢れている。
そんな世界を、僕は夢見ることにした。
「ありがとう、おやすみ。おばあちゃん」
僕は静かに目を閉じた。
明日はどんな人に、どんな言葉を伝えよう。
この記事を書いたライター
Nishino
アパレル業界一筋15年。2人の子どもを育てる副業ライター。現在はシナリオライティングをメインに活動中です。おもしろいことが好き!おもしろい人が好き!そんな自分の「好き」を伝えられるライターになりたいです。いえ、なります。
夢は開業...