鬱憤

私は、いつものようにラジオの前に座っていた。

コトバを発することは制限されているので、昔のようにテレビやラジオが年中放送されているわけではない。
私が特に放送日を心待ちにしている番組が、毒舌パーソナリティー・山岡の番組だ。

コトバを発することに課税されるようになってから、ほとんどの人が汚い言葉を発さなくなった。

お金を払うのにわざわざ不味いレストランに行かないのと同じように、わざわざお金を払ってまで汚い言葉を言わなくなった。

当たり障りのないことを言うか、黙るかの二極化が進み、みんな自分の中に芽生える吐き出したい汚い気持ちを発散する先がないか、常に模索している。

SNSでは誹謗中傷が加速し、喧嘩も絶えない。しかし、喧嘩でもいい、汚い言葉でもいいから、思う存分吐き出したいという欲は一定数あるのも事実だ。

私もそんな鬱憤を溜めた1人だ。

特別何かがあったわけではない。何もないこの暇な毎日は、世間に取り残された気持ちになる。
その孤独や不安を、鬱憤として吐き出したい。

しかし、私は誹謗中傷や喧嘩ができるほどの度胸はないし、声を大にしてまで言いたい主張や信念もない。

山岡は、そんな取り残されそうな我々の、代弁者だ。彼の番組には、多くの行き場のない気持ちが投稿として寄せられている。

「はい、次の投稿です。匿名希望さん。『会社の上司に目をつけられて、毎日嫌味を言われています。』…そんな嫌なやついるんですねぇー。私だったら、そのおっさんの頭をカナヅチでぶん殴ってやりますけどね」

山岡の毒舌に、私は小さく笑った。そう、もしもそんな事が自分に起きたら、相手を踏み潰してやりたいと思うに決まってる。

「うんうん次は?匿名希望さん、『子育ても家事もしないくせに、対して収入もよくない夫を見ているとイライラします。夫の夕飯にこっそり虫でも混ぜてやりたいです。』

あっはっは!下剤とかもいいんじゃない?あ、掃除が大変かー!」

毎週の放送を楽しみに、私は日々を過ごしていた。
山岡の言葉は、私の中にたまっていく鬱憤を吐き出してくれる唯一の出口だった。

どこの誰かも知らない、誰かの不満。聞いているだけで同じように不満に思えてくるから不思議だ。
そして、リスナー全員の総意で、毎日嫌味を言う上司にも何もしない夫にも毒を吐く。

山岡は汚い感情を、汚いままに受け取ってくれる。
吐き出したものを、笑い飛ばしてくれるだけで、心がスッキリした。

(いいよなー。不満ばっか喋ってお金がもらえるんだから)

山岡のことを羨ましく思いながら、今日も自分じゃない誰かの負の感情で、耳をいっぱいにしたまま眠りについた。

代弁者

しかし突然、衝撃的なニュースが飛び込んできた。

「毒舌ラジオパーソナリティーの山岡氏が、昨夜自宅で亡くなっているのが発見されました。警察は自ら薬物を飲んだ可能性が高いとみています」

信じられなかった。あんなに元気だった山岡が、なぜ?
その後の報道で、驚くべき事実が明らかになった。山岡の日記が見つかったのだ。

「毎日負の言葉を受け続け、吐き続けるのは、想像以上に辛い。自分の言葉で人を傷つけ、憎しみを増幅させている。でも、それでも、誰かのためになるのならとがんばってきたが、もう限界だ」

コトバを発することは課税による制限があるが、コトバを受け取ることに制限はない。

この意味を誰もわかっていなかった。山岡は、自分が受け取るコトバ、発するコトバに毒されていたのだ。

私は愕然とした。山岡の言葉を聞いて溜飲を下げていた自分。
そして、そんな番組に投稿していた人々。
私たちは自分じゃない誰かのコトバを、自分じゃない誰かに発信させ、顔も知らない誰かを攻撃することで、鬱憤を晴らしていた。

自分自身のコトバは、そこには1つもないのに。

私はまだ、自分の名前さえ、名乗っていないというのに。


ー第10話 終ー​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

この記事を書いたライター

執筆者

Nishino

アパレル業界一筋15年。2人の子どもを育てる副業ライター。現在はシナリオライティングをメインに活動中です。おもしろいことが好き!おもしろい人が好き!そんな自分の「好き」を伝えられるライターになりたいです。いえ、なります。
夢は開業...

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