完璧な私

私、伊藤美咲は23歳。大手IT企業に入社して1年目の新人社員だ。

幼い頃から厳しい英才教育を受けて育ち、発する言葉はいつも正しく、正解を選ぶように教えられてきた。
そのおかげで、難関大学を首席で卒業し、憧れの企業に就職。
周りから見れば、順風満帆な人生を送っているように見えるだろう。

オフィスでの私は、完璧な社会人。
言葉を無駄に使わず、的確に業務をこなす。
上司からの評価も高く、同期の中でも頭1つ抜けた存在だ。

しかし、仕事を離れると途端に凡人以下だ。
特に恋人の慶介との関係では、相手の顔色ばかり伺ってしまって自分の気持ちをどう表現したらいいのかわからない。

慶介の猛アタックで交際を始めたものの、付き合い始めてから彼は寡黙で表情が読めない。

「今日の夕食は何がいい?」

「...」

慶介は黙ったまま肩をすくめる。いつもこんな調子だ。
グッと自分の気持ちを抑え込む。
何か言葉を口にすれば、慶介を不快にさせてしまうかもしれない。

「ハンバーグとオムライスどっちも作るから、どっちか選んでもいいし、ハンバーグオムライスにして食べれるようにしておくね!どっちも気分じゃなかったら…あとでコンビニに行こう」

相手の好みから選択肢を2つ用意し、どちらも外れた場合の保険も提案しておく。
これで何とか機嫌を損ねないで済むが、さすがにコンビニを選ばれたら悲しくなる。

完璧を求められてきた人生の中で、唯一自分らしくいられるはずの恋人との時間が、こんなにも窮屈だなんて。

慶介を怒らせたり、傷つけたりしないよう、慎重に言葉を選び、時には黙ることを選んだ。でも、そうすればするほど、自分の本当の気持ちが遠くなっていくような気がした。

(今日の私は、何が間違っていたんだろう)

寝る前に1日の振り返りをして、反省してみる。次はこうしようと考えてから寝るのに、いつもうまくいかない。

仕事をしてる方がよほど楽だ。
正解があり、結果もでる。
恋愛がこんなにも難しいだなんて。

大切な人

ある夜、慶介の家で映画を見ていた。
今日は慶介の機嫌もよく、2人で肩を寄せ合って映画を楽しむ。

(こんな穏やかな時間がずっと続けばいいのに…)

と思ったが、突然、慶介のスマホが鳴った。
慶介はそっと立ち上がり通話を始めると、そのまま家を出て行こうとする。
私は思わず声をかけた。

「こんな遅くに、どこに行くの...」

慶介は不満そうな顔をした。

「なんだよ。お前の許可が必要なわけ?」

「そういうわけじゃ...」

言葉に詰まる。本当は「私のことを置いてどこにいくの?」と言いたかった。
でも、それを言えば慶介を怒らせてしまうかもしれない。
かといって、せっかく幸せだと感じていた時間が終わるのを、寂しくも感じた。

「...ごめん、私のわがままだったかも…」

結局、またしても逃げの言葉を選んでしまった。
慶介は不満そうにため息をつき、家を出た。

私のわがまま。本当にそうなのだろうか?
大切な人と、一緒にいたいと思うのは、普通ではないのか?

自分が独占欲の強い女だと言われているようで、恥ずかしくなった。
映画のラストがどんなものだったか、全く頭に入ってこなかった。

夜風に当たりたいと、家を出る。
自分の足元はずっとふわふわしたまま、頭にはモヤがかかり続けていた。
駅前を通りかかると1人の男性が歌っているのが聞こえてきた。
その歌声に引き寄せられるように足を止めた。

「〜♪未来への言葉を繋いでいこう この先を明るく照らす言葉は、自分自身で灯せるはずだから〜♪」

その歌詞が、私の心にスッと入ってきた気がした。
「自分自身で灯せるはず」その歌詞が心に残った。
それから、毎週歌を聞きにいった。

観客は少なく、足を止める人も多くはない。
でも毎週聞いていればわかる。
どれだけ歌声に想いを乗せて歌っているのか。

何度聞きに行っても、変わらずに自分の言葉を届け続けている彼を見て、少しづつ思考がクリアになっていくのを感じていた。

私自身の“本当の言葉”は、正解じゃないかもしれない。
慶介は怒るかもしれない。
けど、自分自身の言葉で未来を照らそうとすることは、きっと間違っていない。

素直な気持ち

少しづつ、私は自分の中で何かが変わるのを感じていた。

(慶介とちゃんと本音で話し合おう…)

そう思いながら家のドアを開ける。
玄関に見覚えのない女性用の靴があるのが、目に入る。

「慶介…?この人だれ…?」

慶介は無表情で答えた。

「誰だっていいだろ?」

以前の私なら、ここで黙っていただろう。
思っていることを口にすれば、関係が壊れてしまうかもしれない。

でも、あの歌を聴いてから、自分の気持ちと向き合ってきた。
次に出た言葉に驚いたのは、私の方だった。

「…ふざけたこといわないで」

慶介は驚いたような顔をした。

「...誰でもいいわけないでしょう?」

私の中で何かが崩れた。
言いたいことが溢れ出して、自分の意志と関係なく飛び出していく。

「慶介、あなたが何も言わないなら、あんたなんかもう要らない。私はずっと、あなたの気持ちを推し量ってきた。あなたを怒らせない言葉ばかり選んで、自分の本当の気持ちを押し殺してきた。でも、あなたは一度も私の気持ちを考えてくれなかった。私のこと、本当に大切に思ってたの?」

慶介は言葉を失ったように、立ち尽くしている。

「裏切られて悲しい。でも、それ以上に腹が立つ。私の気持ちを踏みにじって、他の人に手を出すなんて、あなたは最低よ!」

部屋中に私の怒りの言葉が響き渡る。

「…大きな声を出してごめんなさい。この人、あなたに譲るわ」

全てを吐き出し終えた時、私は奇妙な解放感を覚えた。

「…おい、待てよ。話合お…」

私は彼の言葉を遮った。

「お幸せに」

ドアを開け、私は颯爽と部屋を出た。
外の空気が、今までにないほど美味しく感じられた。
正しい言葉ではなかったかもしれない。
でも、私の心を守る、私自身の本当の言葉だった。

「言葉を大切に使う人は、自分のことも大切にできるのね」

私はつぶやいた。
これからは、自分の気持ちに素直になろう。

間違えることも、正しくないこともあるかもしれないけれど、自分の気持ちを、言葉を大切にしよう。
そして、自分を大切にしてくれる人と一緒にいよう。

その夜、私は駅前に向かった。あの歌手が今日もいることを願いながら。


ー第9話 終ー​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

この記事を書いたライター

執筆者

Nishino

アパレル業界一筋15年。2人の子どもを育てる副業ライター。現在はシナリオライティングをメインに活動中です。おもしろいことが好き!おもしろい人が好き!そんな自分の「好き」を伝えられるライターになりたいです。いえ、なります。
夢は開業...

詳細を見る

同じシリーズの記事を読む

タグ